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富田和明的個人通信

月刊・打組

1999年 4月号 No.45

このページはほぼ毎月更新されます。年10回の発行

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『地図に染み出る夢』

4月吉日   

 大家さんの御厚意により、我家がお借りしている駐車場に六畳のプレハブを建てていただき、この度めでたく、私の部屋=打組事務所が誕生いたしました。
 これで急なお客様がお見えになったとしても、十人くらいなら無理をすれば泊まれ、無理をしなくても一人は泊まれるようになった。
 電気を引いて、電話線も引っ張り、この際、コンピュータも買い換えた。愛機MacLC630からPowerMac7200/90にバージョンアップしたが、こPowerMacは三年半前の雑誌を見れば25万円は下らない品物、それが今では4万円。やっと手が届く値段になりました。僕は新しいモノにこだわらないので大満足です(これでも充分すぐれものですよ)。
 それで引越をしていたところに、懐かしい地図が出てきた。北京市区図と延吉市区図、延辺朝鮮族自治州行政区画図に中華人民共和国地図。

 中国へ行かれた方はすでに中国人の地図好きを御存知と思うが、どこの町でもいい、街の中心には必ず国営新華書店がふんぞりかえるように店を構え、そこに入ると否が応でも目に入るのがこの巨大地図であった。
 こんなもの誰が買うのかと思うが、自分もしっかりと買ってしまう。その市の地図はその市でしか売っていないので、名産品みたいなものだ。
 僕の中国留学時代、毎日鏡を見る回数より地図を眺めている時間の方が確実に長かった。大学を転校して新しく寮の部屋に入ると、まず地図を部屋の真ん中に貼り付ける。地図と言っても、それぞれ畳半畳以上はある大きさだから、それで壁が全部隠れてしまう。現在の部屋ではどこにもこれらを貼るだけのスペースはない。それだけ荷物が増えているということ。中国に居た時は荷物も少なかった。よくお茶を飲みながら、飽かずに地図を眺めたものだ。
 北京に住んだのは二年半だけだが、そのところどころ破れ継ぎあてられた紙切れ一枚の地図に、僕の二年半が染み出ている。
 当時一番遅れていると思った通信網も、今や携帯電話にパソコン通信で北京の知人と会話する時代になった。
 天安門事件から今年はちょうど十年、もうすぐ六月四日がやってくる。時計の針は前に進むしかない。僕の夢の一つは、東京打撃団北京公演の実現だ。


『海と風と太鼓と・・・』

4月30日 

 「太鼓アイランド青葉」が五月で、「太鼓アイランド淡路」が十月で、二周年を迎える。
 太鼓を教えることは、有り難いことに様々な場所から声を掛けて頂き請われて出向いているが、自分が主宰する太鼓教室と言えば、「富田太鼓アイランド」になる。
 元々集団とか仲間とかいうのは苦手なので、できればさっぱりと清く(?)、つかず離れずの距離感で太鼓を媒体に人の輪ができればいいと考えていた。
 四十の峠を越し、自分の居場所を感じたかったのかもしれない。太鼓アイランド青葉は、今住む場所を基盤に開始した。一人でも来る人がいればやるつもりで始めたし、今後も一人でも来る人がいれば、僕が太鼓を叩けるかぎり続けるつもりだ。
 「太鼓アイランド」の名前については、生まれて18年間育った淡路島、12年間住んで太鼓を学んだ佐渡島、新しく太鼓と出会った三宅島、生活の中に太鼓の音が漂う八丈島、打組(うつぐみ)の言葉が伝わっていた竹富島等々、島が僕は好きである。その理由から付けた。太鼓が関係なくても島となれば、以前はどこへでも出かけていたものだ。
 島は海があって、海からの風が吹く。船の油の臭いも好きだった。
 太鼓を叩けば、太鼓の音に囲まれて、太鼓の風を感じられる、それが太鼓アイランドになる。そこで自然の匂いも感じたい。
 現実には自然の直中で叩ける環境ではなく、音楽練習室やホールの中でになるが、イメージでは感じ取ることができる。

 現在の会員数は太鼓アイランド青葉が七三名、太鼓アイランド淡路が九九名、特別会員が五名の、合計一七七名になった。一回でも参加すれば会員になるのでこんなに多くなったが、実感としてはこの半分くらいの人数かなと思う。
 太鼓アイランド青葉には、一番遠い人で片道二時間半をかけて通って下さっている。関東の住宅事情では一時間半はざらだ。また地方の方でも、上京の折に立ち寄って下さるようになり、誠に嬉しい。私も軽やかに気合いを入れて毎回楽しみに、その時を迎えている。
 コンサートの舞台で太鼓と向かい、客席のお客さんと過ごす時間や空間とまったく違うのは、集まった人全員が太鼓を叩くことであり、全員が太鼓打ちになり、同時にそれを聞くお客さんであることだと思う。
 そしてより一人一人の声を耳にすることができる点である。
 集う人たちの職業は、住職、フリーライター、会社員、教師、保母、主婦、イラストレイター、役者など多種にわたるが、特に教育関係の方が多く、それも養護学校と小学校の先生が多い。その他では自由業の方だ。皆気持ちの良い意欲を燃やして、ここまで足を運んで下さること、そのことが僕の胸を打つ。
 平日の夜なので一般の会社員の方はどうしても少なくなるが、僕と同世代のお父さんたちにも、本当はもっと太鼓を叩く楽しみを知ってほしい。その機会を作れないかと考えるこの頃だ。

 太鼓アイランド淡路は、僕の故郷津名町に主催していただいているが、太鼓を叩いてみたいと思っている人がこんなに多いとは驚いた。
 現在まで七回の講座を持ったが、追加の分もあるので実際には九回行っている。
 第二回の講座に参加した人たちが中心となって『美鼓音』というグループが生まれ、他にも『音芽の会』等いくつかのグループが生まれようとしている。また、島内の他の太鼓グループに属しながら参加している人たちもいて、僕としては色々なグループの垣根を越えた、島中の太鼓好きが集う、淡路島の太鼓ステーションになることを願っている。
 来年西暦二千年三月一八日(土)には、ここ淡路島津名町しづかホールで、『二千年を打つ会・東京打撃団コンサート』を主催し、太鼓アイランド淡路のメンバーが二千年を打ちます。まだ一年近く先の話ですが、遠方よりの参加も歓迎いたしますので、興味のある方は御一報下さい。

 さて太鼓アイランド青葉では、二周年を記念して冊子を作ることになり、只今メンバーの一言が集まってきているところです。どれも大変熱のこもったものばかりでここに紹介できないのが残念ですが、一つだけ主婦のYさんのお言葉をご紹介して終わりにしたいと思います。

 あれほど苦しみ抜いた恋も、あれほど喜びに溢れた恋も知らない。峠を越えれば後はゆったりとした下り坂ばかりが続く。バスは夕日を浴びながら海岸線に出た。海がキラキラと輝き、ちぎれ雲が風に流れている。その港町でバスを下りたのは結局私たち二人だけでした。まっすぐ港へと歩き、夕日に一番近い堤防の先で腰を下ろすと、今ちょうど燃える太陽は水平線にさしかかったところ。カモメの声が耳に響きました。彼の顔もまだ今日はきちんと見ていないけれど、紅に染まっているのだろう。おそらくここまで来る間「ああ」とか「うん」とか、会話らしい会話はしていない。その時です彼の手が私の(中略)これが私と太鼓との出会いでした。

※太鼓アイランド青葉、二周年記念冊子 『打ち出の言葉』は5月26日参加者および見学者の方に無料でお配りいたします。ぜひお越し下さい。 



●昨年東京打撃団が第二部案内役で出演した、98年度国立劇場『日本の太鼓』〜タイコは踊る(キングレコード商品番号[KIVM243])がビデオになって販売されています。
 お求めの方はレコード屋さんに注文して下さい。単独演奏も一曲あり、フィナーレではジョイントもしています。
●発売ビデオでは、富田の司会トークは時間の都合上カットされていますが、それでも収録時間は2時間45分もあります。ノーカット版をご覧御希望の方は、国立劇場資料視聴室(予約が必要。?03-3265-7411内線2729)へどうぞ。やっぱり韓国の音楽は体に心地よいですよ。

◆◇◆◇ 打組事務所完成記念特別プレゼント ◆◇◆◇

おみやげ用に中国から買って帰り、そのままになっていた、中国地図出版社発行、天津人民印刷廠1988年3月印刷、『北京市区図(1065?×1490?)』未使用品を5名の方にプレゼント致します。
御希望の方は、官製ハガキまたはFax、Eメールで「北京の地図希望」と書いてお申し込み下さい。5月15日(土)まで到着分有効。希望者多数の場合は抽選にします。

   

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インターネット版 『月刊・打組』1999年 4月号 No.45

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