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富田和明的個人通信

月刊・打組

1999年 夏号 No.48(8月21日 発行)

このページはほぼ毎月更新されます。年10回の発行

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『全日本太鼓みたま御祭』

8月15日

 夏は太鼓の季節だ、と誰かが言ったかもしれないが、僕の周りでは比較的静かな時間が流れている。秋からの怒涛のような嵐(スケジュール)を前に静寂が僕のヒザの上に鎮座しておられるようだ。
 巷(ちまた)では、不況知らずの一大太鼓イベントや、恒例のフェスティバルも好評のようであるが僕には縁がなかった。それなら一つくらいは自ら足を運んでこの眼で見てみようと選んだのが、『全日本太鼓御祭(おまつり)』というコンサートだ。

 

 たまたまタイミング良く案内が手元にあったので行くことにしただけだが、会場が日本青年記念館とあり、これがまた宮城(きゅうじょう)から遠くない場所だ。この時期にこの場所で太鼓御祭とは‥‥。


 お盆近くになると横浜の住宅地にまで大音響軍歌放音移動車が早朝よりお出でになるのに辟易(へきえき)している僕は、一瞬嫌な予感もあったがこれも夏の雲行きとあきらめ、強すぎる冷房に震えながら東急電鉄の乗客となった。


 地下鉄を降り、地上に出るとミンミンゼミとツクツク法師とヒグラシの声が生生世世(しょうじょうぜぜ)の叫びのように僕を襲う。
 まだ朝の八時半を少し過ぎたところだというのにすでに、夏の盛りの陽光である。
 それにしても午前九時から始まり、途中一時間の食事休憩を挟むとは言え、夕方六時終演予定まで太鼓の演奏が八時間もあるのか!?出演予定団体40とチラシにはあるがその名前は書かれてはいない。
 これで入場料が五千円は高いのか安いのか?恐る恐る地図を頼りに劇場までたどり着いたが、こういう不安定な緊張も嫌いではない。


 僕が十代の頃、はみだしぴあで見つけた芝居の公演は、日時が国鉄中野駅南口集合とあり、そこから案内されてあるマンションの一室に入って観劇した。今思うと充分危険な臭いだが、当時はそうは思わなかった。あの感じと比べると、今日の公演は幾分健全な匂いである。


 なにしろ劇場の中に入って驚いたが、収容人数が1280の堂々たるホールで、舞台の間口も奥行きもかなり広い。ホール入口は貧弱な気もしたが、どうもこの劇場の大部分は地下に潜っているようなのだ。
 どうりで機械冷房とは違う自然の冷気を感じる。が、この客席の静かな熱気はどうだ!この時間に、すでにほぼ満席状態にある。普通の舞台と少し形が異なる点はと言えば、舞台中央前から半間くらいの幅で花道が客席中央真後ろに向かってまっすぐ一本伸びていることだけだ。

 

 

 午前九時三分。
 開演を知らせる本ベルの替わりに『打ち出し』というのがあるらしい。司会者の登場もなく電光掲示板が舞台上手袖に掛かっている。自画自賛の主催者あいさつも、けたたましい司会者の声もどうやらこの大会では聞かずにすむらしいと思ったのは、掲示板に、「『打ち出し』ゲスト・乙武 洋匡(おとたけ ひろただ)」
と出て、電動車椅子を下りたあの百万ドルの笑顔の乙武さんが一人で舞台に現れたからだ。
 プロ野球選手になるのが夢だったという乙武さんは、右肩の付け根と脇の間にバチをはさんでいるようだ。舞台中央まで来た時、それにタイミングを合わすように天井から小さい太鼓が下りてきた。


 トントントン、トトトントン‥‥、
 何か曲のようでもあったけれど今時の曲を一切知らない僕には分からなかった。が、本当に楽しそうにバチを動かし、そしてバチを納めた。話があるのかと期待したがそれはなく、一礼をして去っていった。


 のっけからあっけにとられて見送る僕を、隣のYさんの左肘がつついた。
「去年の『打ち出し』は、konishikiだったんですがね、四尺の大太鼓を一発だけ叩いて大汗かいてました」
そう言って、何がおかしいのか声を出さずに笑った。


 アゴから長ヒゲのYさんは、聞けば秋田から自転車でやってきたという。たまたま隣に座ってしまったので声をかけたが、太鼓グループに関して底抜けオタクのようで、実に裏の世界にも精通しているようなのだ。


 乙武さんが叩いた小さい太鼓がするすると天井に吸い取られていくうちに、客電も舞台の灯火も落ち、青い転換明(あ)かりに変化していった。


 最初に登場したのは、小学生低学年クラスの女の子ばかり20人ほどで、手にバレーボールのようなものを持っていた。全員が持っているわけではなく、一人で持っている子もいたりグループで一つ持っていたりする。引率の先生らしき人の笛で、いっせいにみんながそのボールで遊びはじめた。毬つきのように地面にぶつける子、サッカーのように蹴る子たち、ドッジボールのように体にぶつける子ら、野球のように木の棒で打つ子もいる。掲示板には『ちび丸鼓』とだけ出ている。10分くらいたったのだろうか再び先生の笛が鳴り、子どもたちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。


 次は花道後ろから尺五寸ほどの宮太鼓を担いだ男が一人で現れる。今度は普通の太鼓が聞けそうだ。
 やはりくり抜きの宮太鼓は小さくてもけっこう重量があるのだろう、花道を歩くだけでも時間が掛かり、本舞台に上がったところで男はすでに呼吸が乱れていた。中央に太鼓をゴロリと置くと自分もその隣に座り込み、汗をタオルで拭いている。これはどういう展開なのかと思案していると、男はまたその太鼓をゆっくりと自分の肩まで持ち上げ一歩二歩、今度は舞台下手向かって歩き始めた。どうしたんだ、これで終わりなのか?掲示板には『太鼓と私』と書かれてあった。


 こりゃどうも‥‥‥と僕がつぶやきはじめた時、正真正銘、太鼓の音が聞こえた。舞台上下(かみしも)に一組みづつの家族らしきグループが登場し、まず下手グループの男性が東京音頭を歌い、子どもたちが太鼓を叩く。盆踊りで鍛えた技なのだろうバチを廻し投げ、華麗に振る。客席から大きな拍手が沸いた。


 続いて上手グループはドラエモン不思議マーチ。三、四歳くらいの男の子と十歳くらいの女の子の二人が懸命に口をあけ、お父さんお母さんおばあちゃんの三人が太鼓を叩く。このおばあちゃんの腰つきが妙に色っぽく、これにも大きな拍手が沸いた。掲示板には『家族太鼓歌合戦』と出ていた。


‥‥‥‥、このタイトルを読んで僕はもう帰ろうかと思ったのだが、その僕の気持ちを見透かしたように次の掲示板には『正調・屋台囃子』と出た。


「よし、見てやろうじゃないか!」


僕も気合いが入る。と、背後でゴロゴロと何かを転がす音がして振り返ると、そこには本物のおでんの屋台を曵く中年の男の姿があった。


 いや、おでんと思ったのは僕の早とちりで、鼻をつく醤油のいい匂いは漂ってはいない。男はラッパを吹きながら時々客席を見渡し、大音声を張り上げる。


「えー 屋台囃子 いらんかえ〜 うまいよ できたての ホヤホヤ〜」
すると客席から声が掛かった。


「何があるんだい?」こちらも声の主は燻(いぶ)し銀である。サクラか?
屋台の男は足を止めてそれに答える。


「へイ、いらっしゃい!今日はですね小倉祇園に神田明神、御諏訪音頭、それからちちぶ囃子・・・」


「じゃ、ちちぶを頼むわ」


「わかりやした。ありがとうござんす」


男は丁寧に頭を下げると屋台から二尺ほどの宮太鼓と五丁掛け締太鼓を取り出し、花道に並べた。そして腰をおろしあぐら座りになった。


「いよぉっ!」
カカッ、ドンドンドンドドド〜

 
それは聞き慣れたちちぶ屋台囃子のリズムであったが、違うのは男の左手で締太鼓を、右手で宮太鼓の表打ちを打っていたことだった。これはなかなかできる技ではない。
 打ち終えた時、客席奥から「太鼓屋!」と声が掛かった。ファンが多いらしい。と、自然に僕の口が開いてしまった。


「三宅神着(かみつき)木遣りもできますか?」


「ヘイ、ありがとうござんす。少々お待ちを」


そう答えると男は屋台の横にかけてあった長棒を二本取り外し、太鼓から離れた場所で股をひらいてかまえた。


 まさか、あの棒で叩くんじゃ‥‥。一メートルはゆうに越えた黒光りする太い椿棒を男はバチに使い、三宅を打ち込みはじめた。一振りごとに、ビュン、ビュン、と空気が唸る音が会場に響いた。


「きょうは、お時間がございませんでこの辺で‥‥」
といいながら太鼓を屋台に戻す男の姿を眺めながら、この太鼓御祭は何があっても最後まで見てやろうと、僕の肝がすわった。


 確かにくだらないと言えばくだらない、そういうものが多かった。


 例えばこの後に登場したのが『太鼓の衆・ちょんまげ』。太鼓の曲はどこにでもあるような組太鼓なのだが、なぜか全員ちょんまげ頭なのだ。中には女性の姿もあった。


 それから『和太鼓・ドンドコ』は、13人の男女が一台ずつ太鼓を持って現れ、一人ずつ簡単なフレーズを叩く。そして「ドン」と叩いた人が誰だったのかを、お客に当てさせるクイズ太鼓だった。


 まだまだ『尾張國(おわりのくに)・八鼓(やっこ)さん』や『和太鼓・日本一』、そして『江差・鼓持ち若芽の会』など、ローカル色を打ち出したグループが何組も登場したなか、『大江戸鼓象(こぞう)団』の次に現れたグループは、その中でも異彩をはなった。


 真っ暗の暗転の中、ロウソクの明かりだけが灯る。一つ二つ三つ、どんどん増えていく。そして歌が聞こえてきた。


「うさぎおいし かのやま〜」


少女の声だ。その歌声はどんどん大きくなってゆく。中には引率の先生らしき大人の姿もあったが大半はまだあどけない少女の顔がロウソクに照らし出されている。


「こぶなつりし かのかわ〜」


太鼓は見えない。ロウソクを一人一本づつ手にしている。目が慣れてくると少女たちの表情もよく見えた。


「ゆめは いまもめぐりて〜」 


言い方がへんかもしれないが、この世のものとは思えないくらいの美しい笑顔と、澄んだ瞳だった。


「わすれがたき ふるさと〜」


その数は二百を越えているのではないだろうか正面舞台全面に顔が並ぶ。そして太鼓の音というよりも爆音に近い轟音が一発、会場全体を揺るがせ、それと同時にロウソクの明かりもすべてが消えた。


 非常口の点灯もなく、何も見えない闇。そして火薬の臭い。どのくらいの時間、闇が続いただろうか。


 ゆっくりゆっくりと客電が点きはじめる。舞台はまだ白煙に包まれたまま、勿論少女たちの姿はもうそこにはない。


「『沖縄ひめゆり隊鼓(たいこ)』休憩一時間」
電光掲示版には文字が灯った。

 

 

 これはいったいどういう意味があるのだろう。戦争の悲惨さを訴えただけか、国歌を唱歌「ふるさと」にと推(お)す団体なのか、それとも‥‥。放心状態で動けないでいるこんな僕を、Yさんは飯でも喰いましょうよと誘った。


 あの隊鼓の後によく飯が喰えるなと、一瞬その神経を疑ったが、確かに言われてみれば僕も腹が減っている。
 ロビーに出ると『全日本太鼓婦人会』とたすきを掛けた御婦人方が豚汁を無料で振る舞っていたが、長蛇の列で僕たちはいただくのはあきらめ、売店で弁当とお茶を買った。


 この御祭、今年でまだ三回目らしいがYさんは第一回から全部観ているという。


 主催している全日本太鼓御祭ネットワークは完全なボランティア組織で、出演団体も会に入会しているとは限らないそうだ。もっとも入会も年会費もすべて無料の会で登録あるのみ、大会出演協力費などもなく、連絡はホームページ上でしか行わないという。年一回の御祭チケット収入から経費を引いた分が残るシステムらしいが、ま、ほとんど黒字にはならないと思う。
 基本的に出演希望団体はすべて受け入れるらしく、多数の場合は抽選になって、だから内容には期待しちゃいけないんだよ、とYさんは顎ヒゲを撫で、嬉しそうに昆布巻きを口に入れた。

 

 

 第二部のトップはオーソドックスな形で、舞台には三台の大太鼓が並び、それぞれの打ち込みがあった。これが『太鼓三兄弟鼓 保存会』。


 続いて『地球が平和でありますように祈り太鼓』は、冠に地球の名がついているのに、なぜか背景に「日の丸」だけが掲げられていて嘘くさい。


『世界人類皆兄弟打』は、よく東京でこれだけ集められたなと感心させられたが、要するにできるだけたくさんの民族を集めたようだ。百人以上はいる。民族衣裳だけではその区別はなかなかつかない。掲示版に各民族の名前が流れたので知ることができた。しかし叩く太鼓はみんな和太鼓だった。


 その後も『新星太鼓組・男金(だんこん)』、『和太鼓宗家・神風会』、『若桜(わかさ)流家元・火炎大蛇(おろち)太鼓』など、激しいだけのどうでもいいような太鼓が続いたので、僕も眠くなってきた。見渡せば客席の四割くらいは昼食が効いたのかすでにぐっすりと寝入っている。


 その午睡(ひるね)にとどめを刺すかのように続々現れたのが企業提供の太鼓チームだったが、興味を引くチームもないわけではない。


『打っ手叩いてロッテ』は名前の通りバチは使わず、とにかく手だけで何でもかんでも打ち、叩きまくる。そして、全員が舞台の上で寝転んだまま太鼓を叩き、一度も起き上がらなかった『花王は寝て打て』。


『アサヒスーパーどえらい太鼓』は自社製品の空き缶大小に牛皮を紐で張った太鼓を手に登場した。どえらい太鼓というのを、巨大な太鼓にしなかったところがエライと思う。中には一口サイズの135?缶に皮を張ったものもあり、若い男女が糸電話のように会話を楽しむ一幕もあった。


 完全に寝入ったはずの客たちが一斉に目覚めたのは、花道から武道着をまとった猛者(もさ)ども数十人が現れた時のことだ。


 必死の形相で「どこだどこだ」と口々に叫び、あたりを物色しながらながら板間の花道を往復するのでまず眠れない。男たちは舞台上手奥一角で足を留めた。一瞬の無言(しじま)
 後ろに控えた一群の中心人物らしき男が

「いたか?」

と叫び、前にいる若い衆が大声で

「ない」

と答える。そしてまた客席、花道、舞台を牛のように素足で駆け抜けては足を止める一群。

 その度に「いたか?」、「ない」を繰り返す。ゆっくりと掲示板にグループの名前がでた。


『向かうところ太鼓なし』
一度は真剣に覚めた観客たちもまた睡界(すいかい)へと引き返した。


 その他の出演グループは名前だけにしておく。僕もすっかり眠くなり、見ていたのか眠っていたのかすら分からなくなってしまったからだ。手元に名前のメモだけは残っていた。


『太鼓集団トマトとキューリ』『サークル・太鼓持ち伝承会』『和太鼓・打芽打眼打命女(だめだめだめよ)』『新鮮太鼓市場・鼓宝(こだから)』『お芝居と和太鼓・青山鼓鼓路(こころ)座』『太鼓まんじゅう・ドン』等々
 Yさんが僕の肩を揺り、目が醒めた。


 どうやら『打ち納め』が始まるらしい。興奮の一部と比べるとどうも二部は不覚であった。


「『打ち納め』ゲスト・うつみ さちこ」
 聞いたことのない名前だ。


 五歳くらいの女の子が一人で花道中央まで歩いてくる。モミジのような両手を合わせ、光る小さな玉を大事そうに持っていた。
 この後の光景は自分でも信じようがないのだが、目にしたことをそのまま書くと、少女が光る玉を天井に投げたと思ったとたん、天井が海になっており、つまり天地が逆になって、玉が海に落ちていったのだ。それを僕らは空から眺めていた。そして海に届いたと思ったら今度は「どど〜ん」と光と海水が飛び弾け、無数の輝くしぶきの「たま」となって空に舞い上がってきた。それは僕たちのいる場所に降り注いだかっこうになる。先ず少女の頭をそれは被い、驚いたことにその姿を太鼓に変えさせてしまった。そして、平等に客席の僕たちの頭上にもそのしぶきは降り注ぎ、次々と太鼓に姿を変えてゆく。僕もすでに太鼓になってしまっていたのだろうか‥‥。見渡せば客席いっぱいに広がる鼓(つづみ)の海だった。


 あの「たま」は御霊(みたま)だったのか?それではこの鼓は‥‥。意識を失いかけたその時、電光掲示板にもう一度文字が浮かび上がった。


「『打ち納め』ゲスト・打海 幸鼓(うつみ さちこ)
ずいぶんと手の込んだ打ち納めをするものだ。

 

 

【完】

 

 ※今回のお話はすべてフィクションです。
ここに登場する名前はすべて架空のものであり、
類似、或いは同名の個人団体が実在したとしても、
それは全くの偶然であり本文とは無関係です。
(文中、『太鼓の衆・ちょんまげ』『正調・屋台囃子』『和太鼓・日本一』の原案は平沼仁一)

 

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インターネット版 『月刊・打組』1999年 夏号 No.48

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