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富田和明的個人通信

月刊・打組

1999年 11月号 No.50(11月9日 発行)

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二千年に向け 島を巡る』   

              10月27〜31日       

 春夏秋冬、淡路島で太鼓講座を開くようになって丸二年が経った。いつも太鼓アイランド淡路の講座期間中は島を走り回っているが、今回も三度目の秋を駆け巡った。
 まず初日、いつもなら横浜から淡路島の実家まで七、八時間で到着するが、高速道路で途中事故渋滞があったので十時間かかってしまい、休む間もなく講座の準備に突入する。その移動疲れと運転中に聴き続けた「三遊亭歌之介 爆笑120分」(桂枝雀さんそっくり顔の報徳学園学校長より戴いた)カセットテープが効いたのか講座開始と共に完全なナチュラルハイに陥り駄洒落連発、はしゃぎすぎた。
 二日目午前には、来年「二千年を打つ会」コンサートの記者会見があり、午後は生穂(いくほ)第二小学校で和太鼓課外授業を行う。
 この小学校は約12年前から和太鼓に取り組んでいるそうだが、現在は全校生徒で叩いていて、その数13人!野球もサッカーもできないので和太鼓クラブしかない。二年前にも僕は訪れたが、子供たちはみんな兄弟のように過ごす楽しい学校だ。三拍子のリズムで遊ぶ。
 夕方、「二千年を打つ会」用のチラシ・ポスターなどをお願いする印刷所へ行き、打ち合わせ。
 僕は本も好きだが、印刷所も好きだ。昔叔父さんが印刷所を経営していて、小さい頃よくそこで遊んだ記憶のせいなのかどうか判らないが、インクの匂いか紙の匂いかそこで働く人々の雰囲気なのか、とにかく今でも何だか体が嬉しくなる。僕が使っている特製日記帳も十年程前この印刷所で作ってもらったものだ(最初愛用していた物が絶版になったので自分で同じサイズの物を発注した)。大型Macがズラリと並んでいて、これも浮き浮きした原因だった。夜は太鼓講座。
 三日目、午前は休み、午後瓦屋さんへ行く。淡路島はかつて瓦生産日本一であった(今は愛知県三河にその座を奪われ全国二位)。この淡路瓦で胴を作り、太鼓にならないかと以前から考えていたが、太鼓アイランド常連参加者の一人が意欲のある瓦屋さんを紹介して下さり、一度試作してみようとなったのが今年の初夏のお話。
 製作してくれたのは亀井二郎さんという僕と同学年の人。この道21年、桃から生まれた桃太郎のごとく、亀井さんは土から生まれた瓦太郎のようになっている。顔の形が屋根瓦の形をしているというのではない、体全体から大地の匂いが沸き立つという意味でだ。
 三日かけて淡路粘土を徐々に積み上げ型を作り、それを窯に入れ丸一日かけて千度まで温度を上げてゆきじっくりと焼く、火を消して一日半かけゆっくりと冷ます。ここまでで約一週間の工程だそうだ。尺六寸用に作られた太鼓の胴の形をした瓦は重さ32?にもなった。お、重い。
 これ自体を叩くと半鐘のような乾いた金属音が響く。この両側に皮を張ってバチで叩いてみると、ドン、という音色ではなく、少し金属音が残った感じだが、なかなか面白い音ではある。さっそく世界初の淡路瓦太鼓に亀井さんが名前を付けてくれた。その名も『淡路打(だ)カーラ』(瓦のことを「かあら」と淡路では言っている)。

※写真「淡路打カーラ」の試作品と一緒に制作者の亀井氏と(西淡町亀井瓦製作所にて) Photo/I.Kumiko


 話し込んでいる間にすっかり秋の陽が落ち、夜の中級講座に慌てて駆けつける。
 四日目は午前が昨夜に続き中級講座で、午後が初めての初級中級合同稽古。
 太鼓アイランド淡路はこれまで年四回ほど開催してきて今回で九回目の講座となる。毎回初めてバチを握る初心者がかなりいるし、初回からの常連参加者や地元太鼓グループの人達もいるので今年から二つのコースに分けざるをえなくなって現在に至っている。
 太鼓アイランド淡路が三年目を迎え、そして二千年を迎える節目に一度皆で太鼓を叩いてみたいと思ったのが「二千年を打つ会」の発案だった。太鼓を打つ経験ではかなり差のある人達が集まって一緒にどう叩けるか、これから何を準備すればいいのかを考えるのがこの合同稽古の時間で、僕にとっては密度の濃い時間だった。
 集まったのは53人、全員で一度に叩くと、しづかホール(講座もコンサートも同じ会場)はコンサートホールなので響きすぎてもの凄い音量になる。次回の稽古は来年の二月で、ほとんどの参加者はそれまで太鼓を叩く機会がない。とにかく短期決戦の三時間だった。
 その後、「打つ会」の説明とさっそくチケット販売作戦開始。オープニング演奏の『島海道(とうかいどう)二千』(約15分)はいったい何人での演奏になるかは、コンサートのフタを開けてみなければ判らない。この響きすぎるホールの音を心地よくする方法が無いわけではない。それは、満員の御客様で客席ホールを埋めることである。皆様方の、ご協力をよろしくお願いいたします!写真『二千年を打つ会』第一回合同練習に集まった「太鼓アイランド淡路」メンバー Photo/T.Kazuaki
 五日目午前は、淡路に別荘を持ち、週末を島で楽しむグループ『豚マン太鼓』の皆さんのところへ行く(話せば長い物語があるそうで、なぜ豚マン太鼓なのかはまだ聞いていない)。この日は特にお天気が良く、外で太鼓を叩くことになった。
 眼下に広がる瀬戸内の海はのどかで、沖をゆっくりと大型タンカーが進み、釣り船が浮かび、黄色い花畑が手前にあり、空は青い。誠に気分がよろしい。参加の皆さんは重職をすでに勇退された人生の大先輩の方ばかりで、意識も秋晴れのように突き抜け、心も誠に明るい。こちらが掌の上で遊ばせてもらっているような感覚だった。
 午後は大急ぎで志筑神社に駆けつける。四年半前の大震災で潰れた神社を氏子の総力を結集して大改修、完成させたのだ。この日が神社の秋祭りでだんじりが一八台も集まると聞いていたので、実は僕は朝から落ち着かなかった。
 午後一時半、すでにだんじりは小高い丘上の境内にすべて上がり鎮座していた。これだけの数が集まったところを見たのは生まれて初めてで、しかも祭り自体を20年以上眼にしていなかったので、感慨ひとしおだった。
 子供らが刺繍幕の中で叩く太鼓の音はゆったりとした単調極まりない「ドン デン ドン それっ」の繰り返しがほとんどだが、これが心根に響く。ここでは他の何のリズムも要らないと思う。
 祭の賑わいは昔の記憶に遠く及ばず、これは残念だったが、僕は充分に記憶を反芻した。
 昔のだんじりは、家々が立ち並び込み入った狭い道を道路一杯に練り歩いた。怖ろしいほどに響き聞こえた太鼓の音。夜祭の揺れる提灯と、ロウソクの明かりに映し出される顔々。青空の下、赤色と黄金色のだんじりが唸り、叫び怒鳴り快活に笑う人々の熱気があった。
 今でも、威風堂々たるだんじりを眼にし、その太鼓の音を聞いていると「これが僕の太鼓の原点だ」とつくづく思うのだ。
※兵庫県淡路島・志筑神社『大震災復興竣功奉祝祭』に集まった昼休みの「だんじり」 Photo/T.Kazuaki

二千年を打つ会/和太鼓コンサートin淡路  
2000年3月18日(土) 夜7時開演
出演/東京打撃団 太鼓アイランド淡路(オープニング特別出演)  
主催/「二千年を打つ会」実行委員会 共催/津名町 
場所/しづかホール(兵庫県淡路島)
問い合わせ/「二千年を打つ会」事務局(しづかホール内)? 0799-62-2001  


テレビ朝日で「ナイナイの日本男児コンテスト いい男祭スペシャル」という長いタイトルの特別番組のがあり、その出場者に富田と佐藤が太鼓を指導し、本番の太鼓演奏『男鼓節(おとこぶし/作曲・富田)』でも二人が脇を固め、叩きました。この模様は10月14日夜7時から全国ネットで放送されました。写真は公開録画が行われた東京六本木ディスコ「ベルファーレ」

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インターネット版 『月刊・打組』1999年 11月号 No.50

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