インターネット版●

富田和明的個人通信

月刊・打組

2000年 夏号 No.58(8月25日 発行)


『涼夏ハノーバー太在記

7月23日〜26日

7月23日(日)  

朝は久しぶりにゆっくりとし、遅い朝食を食べて(今日のホテルの朝食は豪華)、衣裳の洗濯をする。午後から、市内オペラ劇場のリハーサル室を借りてハノーバー博のリハーサル。
ヒダノ修一(和太鼓/今回は音楽監督も兼ねる)、神保彰(ドラム)、木下伸市(津軽三味線)、土井啓輔(尺八)、CAGR(アクロバティック ダンス)そしてたくさんのスタッフの面々とここで合流。前回のリハーサルから数えて、一ヶ月振りの再会だった。夜は、明後日の公演の成功を祈って全員で乾杯!総勢40〜50人ほど?
この後スタッフは、翌朝の四時頃まで会場の舞台で仕込みをやったらしい。

7月24日(月)  

朝10時から通し稽古。錚々(そうそう)たるメンバーの技が間近で観れるのでこんな嬉しいことはない。特に僕の注目は今年5月、20世紀三味線チャンピオンに輝いた木下伸市さんの演奏だ。
どうしたらこんな三味線が弾けるようになるんですか?と幼稚園児的に聞いてみると「毎日の練習です」と王道の即答を得た。唄を三歳から、三味線の初舞台は11歳だそうで、それからずっと今日まで毎日毎日の練習を繰り返してきた結果だということだ。この当たり前のことを続けることがいかに難しいことか・・・。
通し稽古の後は片づけ。オペラ劇場のリフトを二台乗り継いで搬出する。舞台に続くリフトは、7トン半のトラックがすっぽり入る大きさ。そしてこの劇場は舞台が巨大だ。
間口奥行きはもちろんの事、上手下手にもう一つ舞台と同じ広さがあって、また天井が空のように高い。皆で驚いて見上げていると劇場のマネェージャーが(この日本人たちをもっと驚かせてやろうというように)客席も見てみるかいと声を掛けてくれた。舞台が使われていない時は客席と舞台の間に防火の為の鉄のカーテンが下りている。客席はそんなに大きくなかった。ということは舞台が客席の数倍ではきかない大きさだ。そしてこの舞台の下がこれまた巨大なセリだ。そしてその後ろに巨大な地下倉庫群が続いている。舞台で働く人数だけでも150人もいるそうで、巨大尽くめ。こんな空間を造らなければ表現できない芸術もあるのだ。
午後はEXPOの見学を少しして一旦ホテルに引き揚げる。スタッフは前のイベントが終了する夜10時から仕込み開始。打撃団メンバーはこれまた深夜1時半から搬入セッティング開始。

7月25日(火)  

今日は不思議な一日だった。朝を三度迎えた気分。
一回目の朝は午前1時、会場に行って搬入セッティング。3時で一区切り付けて3時半にホテルに戻り、一休み。二回目の朝は5時、今度は会場で楽器の音チェックとリハーサルを9時半過ぎまで。ホテルに戻り一休みの後、三回目の朝は午後1時。今度は本番の為の出発だ。打撃団代表のH氏はじめ、舞台監督、音響照明、その他大勢のスタッフは昨日からの徹夜作業なので、その方たちはまだまだ長い長い一日が続いていることになる。
EXPOでの会場は、EXPO PLAZAという野外のメーン会場だ。野外でも屋根付きなので雨の心配はない。この一日の為に舞台の上では三つの高い山台が組まれ大きな幕が掛かり、竹のオブジェが飾られ、花道が造られた。舞台前にはCAGRの為のトランポリンがある。山台の中央に大太鼓、上手の山台には神保さんのドラムセット、下手の山台にヒダノの太鼓セット、その下に三味線、尺八、笛が並び、中央山台下に、大平胴二台と他打撃団の太鼓が並ぶ。今日の朝9時間には、このセッティングがほぼ完了していたので、今日の朝9時過ぎには、このセッティングがほぼ完了していたので、その頃からすでにお客さんにはかなり目立っていた。昼過ぎには場所取り(席の)の人が集まりだし、開演二時間前にはすでに満員状態だった。その中で最終音チェックなどをしていたので、楽器の音を出すだけで拍手が来てしまうのには少々困った。

開演時間の午後四時の10分前になり、熊谷・太鼓と村山・笛の寄せ太鼓が始まる。
当初の予定では、まだこの時にはお客さんがいないだろうから、太鼓を軽く叩いてお客さんを集めようという演出だったがしかし、予想外にあまりに早くお客さんが集まってしまい、その超満員のお客さんが今か今かと開演を待っている中での寄せ太鼓になり、今日のプログラムで一番の注目度になってしまったのではないか。
その後、来賓などのあいさつがありミュージックコラボレーション『日本の響きと躍動』がスタートする。
まず一部はそれぞれのグループ個人のパート演奏があり、トークコーナーを挟んで二部はジョイント、そしてフィナーレに突入していった。これだけのメンバーが集まって面白くないはずがない。その演奏プラスCAGRのアクロバットダンスが華麗に舞い踊り、宙に跳ねる。それから舞台美術照明などの演出が加わり、そして何といっても集まった観客の皆さんの熱い盛り上がりがまた一段と舞台の上のメンバーに火をつけた。今日は僕も客席で見ていたかった。午後6時終演、拍手が鳴り止まず、いつまでも温かい拍手が続いた。今日はいったい何千人の観衆だったのか多くて判らない。※ドイツ・ハノーバー博覧会ジャパンデェー記念コンサートの一場面 Photo/Kerry Waring

いつもの如く打撃団は自分たちで片づけをして、8時過ぎからレセプションに参加する。
今日のレセプションは出席者の数も多く、料理も豊富で、また活気が充ちていたように感じられた。型通りのレセプションではなかった。この日のために日本から駆けつけた、次回EXPO主催地の愛知関係者によるアピールの場になっていたからだろうか。日本ではEXPO主催についてまだいろいろ問題になっているが、このレセプションを見ていると「愛知の気合い」が充分に伝わってくる。寿司、味噌カツ、テンむす、焼き鳥、野菜の煮物、ほうれん草にゴボウ炒め、漬け物、などなど。太鼓打ちは食べ物に弱い。久しぶりに日本食をたらふく食べ、大満足の一日となる。誰だ?ソバと豆腐も食べたかったなんて言ってるのは!

7月26日(水)  

朝は7時に目が覚めてしまい、ハノーバーの街を歩く。僕たちの泊まっているホテルは駅の反対側に建っていて、駅の正面口まで3分ほど。そこから南に車両進入禁止地域(歩行者天国)が広がっている。一時間ほど歩いてホテルに戻り朝食を食べ、また寝る。午後再び街に出る。今度は三味線を持って。実は朝の散歩も下見を兼ねていた。
歩行者天国になっている中央通りにはすでに何組も大道で仕事を始めている。全身を白塗りにして彫刻の如く立つ男、ロシアから流れてきたような民謡一座四人組、アコーディオンと弦楽器、バイオリンソロ、サックスソロなどがある間隔を置いて場所を決めていた。どこで演ろうか、考えながらその彼らの前を何度か通り過ぎ、やっとあるデパートのひさしの下に場所を決めた。
路上で三味線を弾くのもえらく久しぶりのことなので、演ろう、と心の中で決めてからも、三味線を持ってホテルを出てからも、まだ本当に決心が付きかねていたが、場所を決めて三味線ケースを置き腰を下ろしたところで気持ちも座った。こうなれば全然恥ずかしいとも思わない。
三味線を組み立てて、靴を脱ぎ裸足になって石畳の上に正座をする。「よし」と気合いを入れて眼を閉じ、三味線にバチをあてた。何日か休んだだけで左手の指が動かなかったが、かまわず弾き続ける。どのくらい注目されているか判らないが気を抜くわけにはいかない。舞台の上では長く弾いても10分くらいだが、この時は40分近く弾き、へとへとになってもう止めた。眼を開けると15人くらいの人だかりがあったので、今度は軽く静かに唄を歌っていたら、みんないなくなってしまった。やっぱり唸って声を出して必死に弾き続けていたほうが路上ではいいのだろう。
コインはそんなにたくさんあるように思わなかったが、ホテルに帰って数えてみると、16.02マルク+1US$(約1000円)もあった。場所を変えてもう一度やればよかったがもうこれだけで疲れてしまったのだ。一枚1マルクのポストカードと水(3マルク)を買いホテルに戻る。そして、4時にホテルを出発して日本に帰る人たちを見送った後、もう一度路上に出てみた。
二回目はもうほとんど躊躇することもなく、すんなりと場所を決めて座った。今度の方が人通りも多く、演奏中も多くの人が足を止めているようだったが、30分ほどやりこれまた疲れて引き揚げホテルでコインを数えると9.7マルク(約500円)だった。帰り道に見つけた映画館(Palast-Theater)の入場料を見ると一番高い映画で10マルクだったので、このお金で映画を見ることにする。アメリカ映画「Der Sturm(原題 The Perfect Storm)」という台風で漁船が遭難する内容だが、台風のシーンが迫力満点。決して明るい映画ではなかったが、ツアーを忘れた一時を過ごすことができた。

 

 

 

7月11日(火)〜8月10日(金) 東京打撃団ヨーロッパ2000ツアーに参加。30日間の旅日記はこちら(かなり文量があります。よっぽど暇なときに読んで下さい)。

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