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富田和明的個人通信

月刊・打組

2000年 12月号 No.61(12月22日 発行)

このページはほぼ毎月更新されます。年10回の発行

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『歳末』から『新世紀』叩き合いへ

12月8〜9日

 歳末恒例、和太鼓体感音頭もいよいよ第四ラウンドを迎えた。しかし、対戦相手は佐藤健作から、熊谷修宏に変わっている。対戦というのもおかしなものかもしれない。舞台をご覧になった方は特に、対戦というより二人仲良く叩いていた図に見えただろう。とんでもない話である。

 二人の間には二十年以上の決して縮まることのない年齢差と、性格の違いがある。熊谷は同年代の若者の中でも珍しいのではないかと思われるくらい、きれい好きでキチンとしないと気が済まない潔癖性タイプだ。
 打撃団の中でもそれは際だち、衣裳のたたみ方、服の脱ぎ方を見ても一目瞭然。そして、昨年正式に打撃団メンバーに加わったというのにすでに御意見奉行の異名を取るほど、誰が何と言おうと自分が良い思ったことは腹に留めておれない、若齢にしてすでに自我を主張できる人間だ。
 かたや私・富田は、自分で言うのも何だが、潔癖とは言い難い横着タイプ。
 現に今この文章を書いている部屋も足の踏み場なく、本にチラシに書類関係、太鼓に鳴り物にバチに台、ビデオテープに衣類にカバンに領収証等々、とにかく物が散乱していてゴミ箱状態の中で書いているが、これが僕にとっては妙に落ち着いて心地よい。それに一旦決めた事柄でも良いと思えば二転三転当たり前、優柔不断かつ臨機応変円転滑脱な性分。
 この二人が曲を仕上げようとするとどうなるのか想像して欲しい。
 熊谷は自分のソロのパートでさえすべて楽譜にして書いてくるが、僕は自分の曲でも七割、八割出来ていれば後は、本番の雰囲気でヨロシクというほうなのだ。
 その上、僕は何でも締め切りギリギリにならないと頭も体も動かないタイプで、新曲ができ上がるのも常に崖っぷち状態、年のせいか健忘症も始まっており、前に稽古をやっても次の稽古ではきれいに忘れていたりする。
 ここまで書くと、これでよくコンサートの幕が上がるものだと感心されるかもしれないが、そこが舞台の面白いところ。日時場所が決まりお客さんもお見えになるというと、その日に向かって急速に回転し、迫り来る困難を快楽に換えようとする。この点に関しては二人とも同じくするところだろう。

 今回の体感音頭の準備が決して遅かったとは思わない。
 ヨーロッパツアーから帰って一息付き、体と心がようやく目覚めた夏の終わり、すでに公演をやることは決め、チラシ作りの為の写真撮影もろもろの準備は早かった。
 ところがそこから先が進まない。秋がやたら忙しかったこともある。打撃団本公演に、その為の新曲、ジョイントの演出、自分のワークショップに、太鼓合宿の主催、そして最後の最後まで引っかかっていたのが、ザ・コンボイの為の作曲指導だ。
 打撃団の代表・平沼から「今度(12月現在全国公演中『THE CONVOY NIGHT 2000』の太鼓新曲)は富田がやってみないか」と言われたのがまだ夏の始まる前だった。
 ヨーロッパツアー中に曲を書ければいいと思い、日本出発前に長野までもう一度コンボイの公演を観るため足を運びもした。が、しかし、曲が出来たのは11月の太鼓稽古スタート初日。朝までまだ譜面を書いていた。難産だった。それでも何とか形に成り、そんなこんなで気がついたら体感音頭の本番がすでに待ったなしの目前に迫っていたという訳だ。

 公演初日。もう四度目であるはずの道具搬入舞台客席設営が、まだ慣れない。ああだこうだと迷いながら組み立て、たくさんのボランティアスタッフに朝早くからお手伝いいただいて何とか本番を迎えられた。照明は昨年に引き続いて村上智子さんだ。
 この日が世界初演になった(そんな大げさなもんじゃないか?)『アフリカン・焼きそば』。またしても自分で作った歌詞を一瞬忘却するも無事終了。

 お楽しみゲストの一日目・康 明洙さん(韓国チャンゴ)、二日目・今村ゆり子さん(CAGR所属/アクロバットダンス)に支えられながらの、そしてお集まりいただいたたくさんのお客様に支えられての体感音頭だった。
 こんな対戦相手はコリゴリだと思いながらも二日間が終わってみれば清々しさが残ったのはなぜだ? 
 せっかく幕が開いて、二人の世界が生み出せたんだから、もう一回だけ演ってみようか‥‥‥。
 部屋の掃除をしてから考えよう。

※この項の写真はすべて、青柳健二氏撮影

※新世紀叩き合い『和太鼓体感音頭2001淡路』コンサート決定!

 門仲天井ホールで行われました「体感音頭2000」を再チャレンジ。体感音頭淡路版として、来年2001年3月18日に、兵庫県淡路島洲本市みくまホールで開催されます。


和太鼓界の猿之助 浅草に舞う

12月16〜17日

 ドイツ・ハノーバー万博で御一緒したCAGR(Choreography Art Gymnastics Rockets 日本語に訳すと「優れた振付表現を得て世界へと発射される、芸術性と高い身体技術を備えたロケットたち」になるらしい。こう書くと長い名前だ。でもこの「ロケットたち」っつうのがいいね)の『太陽の第九』浅草公会堂公演が終わった。
  これは、凄まじいCAGRのエネルギーを感じさせるステージだった。
 ドイツではその片鱗に触れるだけで終わっていたのが、この公演ではその命をかけた底力を「ロケットたち」は爆発させていた。ご覧になれなかった方は本当に残念!
 
※左写真:鳥かごに入ってハシケンさん(下)と糸電話で話をするAWAJIさん(上)

 僕が嬉しかったことは他にもあって、それは淡路島出身のアーティストと出会えたことだ。元々郷土意識なんかほとんどないと思っていたのに、そういう人と出会うと急に仲間意識を持ってしまうのも恥ずかしい話なのですが‥‥。
 人口16万人少々の島から、渡哲也、阿久悠、上沼恵美子、などの諸先輩兄姉がご活躍だが、同世代或いは若い年代で音楽関係者と東京で知り合うことなどこれまで皆無だった。ところがそのまさか、の方と初対面で同じステージに立ち、その方の名前(芸名)も、そのものズバリAWAJIなのにオッタマゲタ。
 その上、このAWAJIさんは無国籍語(或いは動植物語)で語ったり唄ったり出来る不思議なボイスパフォーマーで、面白さ極上級の方だった。僕もこの方の存在をこれまでまったく知らなかったのだが、こんな摩訶不思議面白人間が現存していたなんて‥‥、その意味でも『太陽の第九』は有難かった。
 
 そして最後まで緊張したのが僕の宙吊り(二尺の桶太鼓を担いで舞台上手奥上空より、ワイヤーで吊られたゴンドラに乗って登場)。これも無事終了し、高さにも本番を三回体験してやっと馴れたように思う。
 初めてテストした時の怖かったこと。ゴンドラが太鼓の重さで傾き、斜め45度・前ノメリの状態になり、安全ベルト一本で僕の体と太鼓を支えているのだ。スタッフの皆様は僕の命を支えてくれた方たちで、本当に感謝しております。
 
 さてこの舞台がきっかけで、和太鼓界の猿之助と呼ばれている私ですが(誰も呼んでない?)、次回はピーターパンのように飛んでみたい!と想いは弾むラストの公演が終わり、劇場の外に出てみれば、そこは羽子板市で賑わう年の瀬・浅草。
 観音様にもお礼を言って二十世紀に別れを告げたのでありました。

※CAGRはじめ全出演者スタッフ集合写真
 
CAGRの皆さんは、今年のNHK紅白歌合戦にも出演される予定です

※この項の写真は、集合写真以外が富田撮影 本当の舞台はもっともっとスペクタクルです

CAGR、AWAJIさん関連ホームページ
 http://www.ranahouse.com/

 http://www.canal.ne.jp/~seisaku-chu/pipies/

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インターネット版 『月刊・打組』2000年 12月号 No.61

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