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富田和明的個人通信

月刊・打組

2002年 5月号 No.76(5月27日 発行)

このページはほぼ毎月更新されます。年10回の発行

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太鼓が奏でる福音

5月23日

『太鼓アイランド青葉』五周年記念スペシャルワークショップが、盛況の内に幕を下ろした。大勢の参加者の皆さん、ゲスト出演頂きました畑真由美さん、そして佐藤健作さん(自身の新三尺平大太鼓の叩き初めまで行ってくれました)、ありがとうございました。

 五年前、自分が主宰するワークショップを始めようと決意した時、どんな名前を付けたらいいかと考えた。自分を生んで育て、また、太鼓と一体となって過ごし、自分を活かしてくれた場所だった『島』を、その名前に入れるしかないと思った。
 島を想う時の僕は、煌めく海と蒼い空が見える潮風の中にいる。
 そんな場所で、出来ればいつまでも太鼓を叩いたり唄をうたっていたい。
「(参加希望の方が)一人でも来れば(いらっしゃれば)やる(叩く)!」の思いを胸に、『太鼓アイランド』を横浜市青葉区で開始させたのが、五年前の5月29日の事だった。
 今では定期的に行っている場所が『月一打』も含めると全国六ヶ所、他にも単発で行うことがあり、これまで参加された方の人数は、先月五百名を越えた。
 一度でも参加されれば会員になるので、これだけの人数になっているが、実際には一同に会したことはないので実感はない。でも、わずかな時間であっても太鼓を通してこれだけの方々と触れ合ったことは確かなことだ。
 これから太鼓アイランドをどう展開していったらいいのかなんて、判らない。
 今その場所で出来ること、今したいこと、今すれば来てくださった方々に喜んでもらえることは何か、自分も何が楽しいのか、を考えて一回一回ワークショップの時間を太鼓と共に過ごしてきた。これからもそうしてゆくだけ。


 僕の太鼓生活は二本柱で支えられている。
 一つが演奏活動で、一つがワークショップと指導だ。言うまでもなく、どちらが欠けても成り立たない。
 公演活動では知らされない生の声を聞いたり、人と接する時間は、ワークショップの方が豊富に持てる。
 太鼓アイランドは、人と太鼓が出会い、人と人が出逢う場所。そして自分自身と向き合う場所。太鼓の音が結びつけるこの喜びは、ここでしか得られないものだと思っている。

※すべて終わって慌ただしい中での記念撮影。中列左から三人目・佐藤健作氏。前列左端・畑真由美さん。その他、太鼓アイランダー/次回は7周年記念で!青葉公会堂にて


新紀撃 黄金出前二人行脚
 

4月28日〜5月6日

 ゴールデンウィーク、と言ってもこれまでは取り立てて想い出話もない。そういう世間様の生活とは別の世界で生きてきたつもりだったが、今年はなぜか最初から最後までぎっしりと予定が入った。正確には、入れた。自分の意志で。フリーになったのですべてが自分の気持ち次第で動けるのが、唯一誇れるところだ(明日の生活が心配なので、頂いた仕事はまず断る勇気が持てない)。ええい、どんどんやっちゃおう!と張り切って迎えた。
 まずは岐阜へ走る。
 受け入れて下さった関市のプロジェクト百年・岩田さんとの付き合いは古い。話すと20年以上のことになるので、ここでは省略。そして、僕の中国留学と前後する形で、娘さんのAさんも中国にいたことで娘さんとも付き合いは長いが、太鼓を叩く仕事を貰ったのは初めてだった。
 行ったところが、岐阜市の社会福祉法人『いぶき』のお祭り。
 小学校と公民館を丸ごとお借りしての年に一度のお祭りだという。快晴の空の下、校庭には色々な出店、ゲーム広場など朝から夕方まで3,000人の人出だったらしい。
 会場が広いので急遽ピンマイクを付けての演奏。出店の中には当然、焼きそばのお店もあって、それが舞台の真裏。『アフリカン焼きそば』を演奏しながら、店のお兄ちゃんたちと目が合い、思わず笑ってしまう。僕らの出番が終わった後、焼きそばの差し入れをいただく。夜は関係者の皆さんと水餃子、手打ちそば大会。
 翌日は同じく岐阜県、恵那市の山中・飯地高原文化村(といっても個人のお宅でのお祭りだが)に走る。
 この地域はバブル期にゴルフ場建設計画が持ち上がった場所で、それに反対する為のえん曲な意思表示として、文化活動が始まったといい、今に至っているという。地元の人たちと岐阜大学の関係者などの集まり。ここでの日差しも燃えるように直接的だった。
 緑に囲まれ、昼の太陽をがっぷりと受け止めて歌い太鼓を叩く。
 流れる汗が目に入ってきて痛い。この二日間でずいぶんと日に焼けた。野外での演奏は、気分はいいのだが、屋内の演奏の倍は疲労すると思う。老体には沁みた。
 終わって、中央高速恵那ICから東名廻りで横浜に戻る道中、心地よい疲労感が体を包み、眠りの世界へ誘われる。
 東京に戻っては、国分寺市第三小学校での『一陣風』学校公演。
 村山、熊谷とのトリオ初お披露目で、いつもに増してスタッフの数が多い。
 その翌日には再び東名・名神を走り、淡路島へ。3日は太鼓アイランド淡路の会員でもあるKさん宅の新築竣工祝賀会パーティーで太鼓を叩いた。
 ただの竣工祝賀会と、侮るべからず。
 個人の会でも規模が大きい。その舞台で色々な芸能が飛び出す。淡路島の南淡町は、島内でも特に芸能の盛んなところで、僕でもまだまだ知らない世界がある。
 ここで観た、『だんじり唄・うたいま専科』というグループは、メンバーのほとんどが女性。元々のだんじり唄は男の世界で女人禁制だったが、祭りの場を離れて唄・語りだけが人気を得、一人歩きしだしている。町内の各小学校でもクラブがあり、大会まであるそうだ。
『だんじり唄』という、祭りの中で伝えられてきた一つの芸能は、これからもどんどん広がりを持っていきそうな勢いだ。
 その後は、広島県庄原まで車を走らせる。GW真っ只中だったが、それほど渋滞はない。午後9時半、雨の中、主催者の0さんの姿を見つける。
 翌日は、広島県(でも岡山県に近い)国立備北丘陵公園での春祭りコンサート。
 さすが国立だけあって、広さが半端ではない。
 宿泊場所だった園内のバンガローから食堂、そして会場まで、どこをどう走っているのか判らなくなるくらい広い。朝から雨で、ときおり激しく降った。野外公演を変更して、神楽殿という、普段はそこで神楽が演じられる場所で新紀撃を行う。
 午前、午後の二回公演。一回30分の筈が、お客さんが間近でつい乗せられて50分もやってしまう(ちょっとやり過ぎか?)。当然、新紀撃という名前など初めて聞いたであろう皆さんなのに、庄原のお客さんは温かい。ただ、神楽殿は屋根があるだけの屋内なので、外の湿気はもろ太鼓の皮に影響する。太鼓の皮はボテボテになってしまった。公演が終わって、片付け搬出。その後は、約二時間かけて広島市内へ移動。
 広島で活動するちょっと変わった太鼓チームの演奏を見せて貰う為だった。
 ここまでのスケジュールはノンストップの飛ばし過ぎ。
 最後の二日間は少しゆとりを持って、と言っても熊谷と別れた後は、広島から横浜まで、我が愛車・ハイエースと、お互いに体を火照らせながら駆け抜けたのでありました。

いぶきふれあい祭り/『アフリカン焼きそば』演奏中。後ろでは焼そばを売っていました。他写真はこちら

飯地高原文化村祭り/新緑が映える自然の中での演奏は希な機会だった。他写真はこちら

国立広島備北丘陵公園・春祭り/残念ながらの雨で突然神楽殿での演奏会となる。これもまた楽し。他写真はこちら


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インターネット版 『月刊・打組』2002年 5月号 No.76

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