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富田和明的個人通信

月刊・打組

2003年 11月号 No.90(11月21日 発行)

このページはほぼ毎月更新されます。年10回の発行

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声に出して踊りたくなる太鼓?

※「その日の気分打」の書き直しです

11月8〜9日

 

 太鼓は鑑賞するよりも自分で叩いた方が、もっと楽しいはず。
 でもそうは思っていてもいざ自分がやるとなると、リズム感がないとか、腕力がないとか、覚えられないとからといった不安をお持ちの方も多いはずですが、大丈夫なんです。
 みんなと一緒に声に出して叩いてみましょう!ほら叩けました!というのが、『声に出して叩きたい太鼓』です。

 『Oh!太鼓』太鼓合宿が終わりました。
 四年前の12月に第一回のOh!太鼓が始まり、あれから毎年、年二回の開催ですが、九回を数えるまでになりました。
 今年は『声に出して叩きたい太鼓』シリーズが始まり、今回の合宿も『続・声に出して叩きたい太鼓』です。
 これまで毎回、内容のテーマを何にしようかと悩んできましたが、今年の僕が一番はまっているのは、声に出して叩きたい太鼓シリーズなので、今はもうこれしかない!という感じで迷いはありません。
 一番最初に作った曲が、難聴学級の子供たちが叩く太鼓の曲で『みかん』でした。
 それから言葉を考えたり、リズムを作ってから言葉を入れてみたりして、短い曲なら日記を書くように作ることができます。
 今回の参加者は16名。教員、主婦、会社員、ジャズダンサー、劇団員、保育園経営者、保育士、遊び人など多種多様の面白いメンバーが集いました。
 お遊びコーナーでは、普段叩いている太鼓(初めて叩く人たちもいましたが、太鼓経験者かなりも多かったので)や、得意な出し物も見せてもらい、ダンサーの方とは即興で僕も競演(※ダンスではなく僕は太鼓で)しました。
 一日目の夜の飲み会がいつも長引き、翌朝の寝不足がちょっと気になるところですが、二日目、太鼓を叩き始めると音を全身で浴び、そんな事も忘れ、体が覚めてきます。
 アッと言う間の一泊二日でした。
 太鼓の音に誘われて集う人々から、僕も色々な刺激を頂きます。
 太鼓とは全然関係ないですが、水泳で横浜市の記録保持者の方もいらっしゃいまして、今度、クロールを教えていただく約束もしました。僕は泳ぐのは泳ぐのですが、クロールの息継ぎができなくて、もっぱらこれまで平泳ぎと背泳ぎだけなんです。これで別の楽しみも出来ました。

 そうそう、まだ参加したことのない皆さまは、ぜひ次の機会にご参加下さい。常連組の皆さまも末永くお付き合い下さいね。
 次回開催は来年初夏の予定になります。次のテーマはどうなるでしょうか‥‥。

 

※ Oh!太鼓・第九回参加者の皆さまと Photo/与那嶺 幸代

 

 

里味 紅葉 誕生月

※「その日の気分打」の書き直しです

11月11〜13日

 

  佐藤健作との二人旅、『和太鼓 里味』秋の瞬間二泊三日ツアーでした。
 火曜日早朝、太鼓を積み替え横浜出発、西へ西へと走り、広島県は呉市に到着。
 まだ夜の八時半だというのに商店街はすでにシャッターを下ろした店が多く、かろうじて広島風お好み焼きを食べる(本物の広島お好み焼きを食べたかったけれど、店が休みだった)。
 お泊まりのビジネスホテルも何だか怪しい雰囲気。フロントのお姉さん一人だけが、懸命の笑顔。

  水曜日朝より呉市内S中学校へ、搬入仕込みリハ本番(この日は二人+井上智彦)90分コンサート。
 終了後も二人で、大阪府千早赤坂村に車で移動、夜10時頃到着。
 翌日が僕の高校時代の友だちNが先生をしている学校での公演の為、友人宅に泊まる。
 Nはこれまでに僕の公演を三回見に来てくれているが、僕はきちんと彼の顔を見たり、彼と話したのは28年振りの事だった。
 普通これだけ長い期間が空いた再会だと、まったく外見から考え方まで変わっていたりすることが多いが、彼は昔とあまり変わっていない風貌と接し方で、それに驚く。
 高校時代、クラブ活動が二年で終わった後、三年生のこれからが受験勉強の追い込みという時に、彼と作ったのがフォークソング同好会『さくらそう』(名前を書くだけでも今は恥ずかしい)。
 彼は僕と正反対の人間(背が高く二枚目でスポーツ万能成績良しの性格良し)だったので、僕はなんのライバル心を燃やすこともなく、楽しく活動していた(当時はまだまだフォーク全盛の勢いだった)のです。

  そんな彼の家の二階で木曜朝は目覚め、過去は滅茶苦茶に荒れていたが、今はそれなりに落ち着きを取り戻したという富田林市立S中学校へ。
 体育館で佐藤と二人、完全無欠の90分二人コンサート。
 生徒数580人の真っ只中に漕ぎ出す二人(体育館公演では、床に四角い舞台空間を作ってそれを囲むように生徒が座る)。生徒に負けじと気合いが入る。正直、かなり手応えがあった。
 終わって片付け、夕刻出発。東へ東へと走り、横浜到着後、某高速インターチェンジ下にて、お互いの太鼓荷物の積み替えを行い、午前0時前解散。と、嵐の様に駆け抜けました。

 後日、富田林のS中学校から、大量のお礼と感想文が生徒から届き、その純粋な言葉に心打たれた。
 体育館での二人公演は設備も荒削りな分、逃げも隠れもしない、直球コンサートになっている。
 佐藤健作とのコンビで『和太鼓 里味』と名付けて活動を始めたのが今年の一月だったけれど、ここでようやく産声を上げたような気がしている。

 

※富田林市立第三中学校・体育館にて 衣裳デザイン製作/鴇田章+伊藤晴美  Photo/学校提供

 

 

 

もう一度 この空の下で

※「その日の気分打」の書き直しです

11月17日

 風は強かったけれど好天に恵まれた日曜日、東京女子国際マラソン大会が行われた。今年は第25回目の記念大会。
 最初は家のテレビで観ていたが、なぜか胸が疼いた「どうしても生で見たい」。車を走らせて日比谷公園脇へ。

 車を止めてコースとなっている日比谷通りまで歩く、もうすぐ到着という時に、その前の人だかりの中、高橋尚子さんが通り過ぎた(ようだった)。折り返して30キロ地点を過ぎている。
 一足遅く生の高橋選手の姿だけは見そこなったが、2位の選手がやってくるのには間に合った。このエチオピアの選手が通り過ぎるまでは、かなり差があり、てっきり高橋さんの独走態勢に入っているモノだと思い、3位以下の皆さまをのんびりと待つ。
 なかなかやってこなかったけれど、ボツボツと選手はやってきては僕の目の前を通り過ぎてゆく。そこで様々な姿を目にする。
 素晴らしく鍛えられた肉体、脚、が汗で光る。こんなすごい体を作る為にどれだけのトレーニングを重ねてきたのか、と想像し‥‥それでもトップにはなれないのか‥‥、などとも思い、足を引きずり走る姿、苦しさを顔に出すまいと抑えて歯を食いしばり走る姿など、どの姿を見ても、前を通り過ぎる時に「頑張れよ!」と声を掛けたい気持ちが、出そうとすると声にならない。 なぜか泣けてしまうからだ。
 マラソンの応援には一人で行くに限る。
 冷たい風が目に入ったふうを装いながら涙を拭いても拭いても、次々と多くのランナーがやってきては心を動かされるので、涙が乾く暇がない。
 マラソンは、トップの人だけにドラマがあるのではなく、最後のランナー一人が走り終えるまでドラマがある。生で見るに限る。
 いくらアップで顔の表情を撮り、姿を追い続けたところで、テレビではこの感動は味わえない。
 生の人間の迫力は、実際に目にしないと本当には伝わらない。 違うのだ。足を運ばなくてはいけない、と心の中で叫んでいた。

 この大会の第一回目が行われた25年前、当時僕は佐渡國鬼太鼓座に入って一年、ほぼ全座員が佐渡から上京し、大会に参加する小幡キヨ子(現・大井キヨ子)の応援をし、声を枯らし、太鼓も沿道で叩いた。
 あの日も雲一つない快晴だった。
 いつかまた僕も再びマラソンは走りたい。まだこの夢も諦めている訳じゃない。

※ ニューヨークやロンドンのように誰でもが参加できるマラソン大会が東京でも計画され、二年後から開催されるという新聞記事を読んだ。ぜひとも実現させてほしいと願っています

次回打組主催公演 ご案内

2003年を締めくくる 富田和明と熊谷修宏がおおくりする)
唄あり踊りあり芝居あり、お笑い和太鼓演芸場ここにあり
『和太鼓 新紀撃02 約束』新横浜 公演
12月19日(金)夜・7時開演/20日(土)夕・5時開演

2004年の幕開けも
唄あり踊りあり芝居あり、お笑い和太鼓演芸場ここにあり
和太鼓 新紀撃02 約束』淡路 東浦公演
2004年1月18日(日)昼・2時開演

 

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インターネット版 『月刊・打組』 2003年11月号 No.90

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