月刊・打組 2009年 11月号 No.125(11月29日 発行)


 

太鼓打ち富田和明が歩く

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2009

阿波國〜土佐國之巻 を歩き終えて

 

 

区切り打ちの二回目。

昨年春の歩き遍路から帰って、早く続きが打ちたくてうずうずしていたが、

あれから一年以上が過ぎてしまった。

 

季節も冬に向かう秋、11月。

それでも、お大師さまのお導きにより、出られることとなりました。

ありがたや〜。

 

 

 

 


第一日目(通算6日目) 11月9日(月)

 

前日が愛媛・西条市で太鼓指導をさせて頂いた。

その西条の宿にも遍路さんたちが泊まっていた。

四国は丸ごと遍路の国だ。

 

朝食を終えて西条のホテルを出たのが朝9時半、それから高速を走って徳島に12時に着いた。

慌ててトラックをホテルの駐車場に停め、遍路支度をする。

 

 

思いのほか、今日は暖かい日差し。

Tシャツ姿で軽快に歩き出し、もうすぐJR徳島駅に着くという時に

お金を持ってくるのを忘れていたのに気が付き引き返す。

トラックまで戻り、改めて出発しようとしたが、このまま歩くと電車の時間に間に合いそうにないので

泣く泣くタクシーに乗る。

一時間に一本のJR牟岐線なので、乗り遅れる訳にはいかなかったのだ。

 

 

やっと予定の12時半発電車に飛び乗った。

前回の打ち止め地・由岐に向かう為だ。

 

すでに汗だく。

今日は暖かいようだ。

オレンジ色の二両編成列車に揺られて一時間半、由岐駅に到着。

さあ、ここからが今回の富田打ち2009の始まり

 


しかし、何度目かのトンネルを出たとたん、こちらは大雨になっていた。

遍路で完全な雨の中を歩くのは、今日が初めてだ。

リュックに防水カバーを被せ、雨合羽上下を着て歩き出すと、

時折雨は止み、時折また激しく振った。

 

 

 

 

 

薬王寺まで12キロ程度の道のりだが、旧へんろ道を歩くので

予想以上に時間がかかった。

海岸線ばかりではないのだ。

雨の中、ぐっしょり濡れてラブラブの同行二人。

 

やたらと『ウエル・かめ』のポスターやノボリが立っている。

NHKのそんな番組があることさえも知らなかった僕ですが。。。

すっかり詳しくなりました。

 

そう言えば日和佐(今は美波町)大浜海岸は、海亀の産卵地として有名でしたね。

確かに美しく大きな浜です。

 

 

日和佐の町に入った時には、午後四時半を過ぎていた。

雨は激しく振っている。

町に入って初めてお遍路さんを一人を見かけた。

ここまで一人のお遍路さんとも会わなかった。

彼は野宿遍路さんで、重装備に透明カッパ。

お互いにずぶ濡れながら、会釈のみする。

 

その後、少し雨が小降りになった。

 

 

 

※二十三番・薬王寺

午後五時前に二十三番・薬王寺に着く

 

 

薄暗く、夜の戸張が下りようとしていた。

暗闇が近づいたお堂で般若心経を唱える。

 

あまり疲れていないけれど、今日はここに泊まるしかないだろう。

 

この日の宿は、薬王寺の宿坊は満室で断られ、仕方なく駅前のビジネスホテルへ。

上から下まで全身びしょ濡れ。

 

 

それでも、

ありがたいのは寒くないこと。

風がなく気温が高いので、雨でも気持ちがよかった。

新聞紙をもらって靴に詰める。

 

靴を新聞紙で乾かすなんて、こんなことをするのも何年振りだろうか。

ホテルの乾燥機が壊れていたが、洗濯だけはした。

 

夕食は近くのスーパーで巻き寿司とカップ麺と豆腐を買ってきて食べる。

 

次の二十四番・最御崎寺までは、距離が約75キロ。

 

明日も雨さんと一緒にどこまで行けるかな‥‥。

 

テレビの天気予報を眺めながら、眠ってしまった‥‥。

 

 

 

 

 

JR由岐駅から歩く 午後二時過ぎ発 午後五時過ぎお参り終了


二十三番・薬王寺(やくおうじ)


ほとんど海沿いの道だが、旧へんろ道が横にそれて楽しい

海岸から見る島々が美しい


歩行参拝三時間 約12キロ 宿は、ビジネスホテル・ケアンズ 普通の感じ



 

第二日目(通算7日目) 11月10日(火)

 

朝、目が覚めたら二時半だった。早すぎる。

もう一回寝て、次に目が覚めたら三時半。

起床!

昨日ほとんど歩いていないので、今日は歩く気満々。

早く歩きたくてしょうがない。

それにしてもまだ早すぎる。

昨日買っておいた菓子パンと牛乳を食べながらテレビを眺める。

気になるのは気象情報。

 

一日中、雨。波浪警報が出ていた。

トイレを済ませて(大事です)、四時半に出発。

真っ暗で、雨。

 

 

歩き始めて、これは「出発が早すぎた」と思う。

街灯がない道が多く、ほとんど下(足元)が見えない。

朝を待つべきだった。

そんな暗闇に気を取られていて‥‥。

 

30分くらい歩いて気がついた。

杖を‥‥。

ホテルに置き忘れ。

歩き始めの二日目で、まだ手に馴染んでいなかったのだろう。

すっかり忘れていた。

 

もう戻る気になれず、杖とお別れすることにした。

昨日、ホテルフロント横に杖立てがあって、そこに立てたのが間違いでした。

 

杖は必ず部屋に持って入らないと、いけないのに。反省。

 

 

 

 

 

日和佐トンネル。

 

トンネルは車が怖いが、大きなトンネルは歩道がキチンとあるので嬉しい。

唄をうたったり、声を出すには気持ちがいい。

 

長いトンネルは、エコーがスゴイよ。

日和佐はトンネルが多いので、車の爆音に負けない声を響かせること。

雨もあたらないし。

 

六時を過ぎて足元が見えるようになった。

 

七時。

朝になる。

鬼が岩屋コインスナックで休憩。

そしてまた、歩く。

 

 

 

牟岐駅を過ぎたところのローソンで、「さぬきうどん」の看板があった。

普通のうどんだったが、温まる。

 

 

 

 

トンネルの脇に看板があった。

 

トンネルを通らないで昔の人と同じように峠越えをする。

 

 

 

 

 

峠を下りると海に出た。

驚いたことに浜がそのままへんろ道になっていた。

 

 

気持ちがいい。

 

 

11時半ごろ海陽町(旧・海南)に着く。

たまたま海南太鼓のHさんに電話したら入院中ということで、

急遽お見舞いに行くことに。

 

 

僕もびっくりですが、突然のお見舞いにHさんも、びっくりしていました。

そりゃ、そうですね。お大師様のお導きですから。

もうすぐ退院ということで、よかったです。

 

お昼を海南で食べ、再び歩く。

 

 

 

 

海南から12キロ。宍喰(ししくい)。

日和佐から約34キロ。まだ歩けるけれど、今日の宿はここにした。

時間は、二時四十分。

十時間の旅でした。

旧遍路道がよかったし、お見舞いも行けたし、それに夜は海南太鼓さんの指導もすることになった。

お遍路さんとは、さっぱり会わないが、ほかの出会いがある。


宍喰温泉・道の駅

二階の12畳和室に一人。広い。

お風呂は隣のホテルリビエラにあって、そこまで少し移動。

気持ちのよいつるつるのお湯。いいお風呂でした。

極楽、極楽

 

 

そして洗濯。

夕方五時半に海南太鼓のメンバーが迎えに来て、出発

海南で太鼓指導。

海部高校伝統芸能クラブの皆さんと海南太鼓の皆さん。

 

 

最初は軽くいくつもりが、やはりご多分にもれず、熱く盛り上がりました。

嗚呼、楽しき哉。


宿に帰ってきたら、海からの風が嵐のように吹いていた。

目の前がサーファー御用達ビーチ。

明日は大丈夫か‥‥。








薬王寺近くの宿を朝四時半発 午後二時半過ぎ道の駅・宍喰着


お参りなし


お遍路さんには一人も会わない、宿でも会わない。なんだか妙な気がする

海がいい


歩行参拝十時間 約34キロ 宿は、道の駅・宍喰 温泉がお薦め




第三日目(通算8日目) 11月11日(水)

 



朝は三時半に目が覚めたが、四時半まで布団の中で過ごす。

起床!

ジッとしていられない。

ランナーズハイというのがあるが、これはお遍路ハイ。

 

気が高ぶっているのだ。

昨日買っておいたパンとバナナと牛乳を食べて、まだ時間が早いので般若心経を一回、写経した。

 

トイレを済ませて、夜明けまで待つつもりが、また我慢出来ずに五時半、出発。

 

宍喰を出発してすぐ水床トンネルを抜けると、そこからが高知県だった。


 

六時を過ぎて、空が徐々に明るくなる。

 

 

高知県に入ると『ウエル かめ』の看板が一切消え、替わりに

今度は、『龍馬伝』の宣伝ばかり。

これも私は知りませんでしたが、某局の大河ドラマらしい。

 

 

七時を過ぎて完全に明るくなった。

 

 

普通あいさつは基本だ。

相手が答えなくても、こちらから挨拶はする。

 

「おはようございます」

僕が言うと、

自転車に乗ったおじさんは、僕の顔を見るだけで無言で反対方向に走り去った。

特に気にもせず、そのまま歩いていると、

そのおじさんが忘れた頃にまた自転車に乗ってきて、

目の前で止まった。

 

「どこまで行くんだ?」

「え〜、次は津照寺です」

「どこから来た?」

「昨日は、徳島の宍喰に泊まりました。徳島から歩いてるんです」

 

「‥‥‥   」

「‥‥‥  」

 

「ここは高知じゃ」

「そうですね、ここは高知ですね」

 

「高知しかないんじゃ」

少し怒ったような表情は、普通の顔なのかどうか判らない。

「そうですね、高知です」

こういう人は、そっとしておかなくては‥‥。

 

 

 

 

 

 

野根川と野根の浜。

ここで一休みをしてから、本格的に歩く。

次の町・佐喜浜港まで14キロほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと海岸線を歩く。

佐喜浜港にやっと着いた。

腹が減って、唯一の食堂?にたどり着く。

食堂に入りたいお遍路さんは、必ずここに立ち寄るはずだが、

ここでも僕が一人。

 

 

 

鍋焼きうどんとご飯で暖まる。

 

このペースで歩けば、室戸岬まで充分歩けると思い、今夜の宿を岬と決め電話するが、

一番泊まりたかった「最御崎寺遍路センター」にまず断られ、岬が目の前の室戸荘にも断られ、

しかたなくお寺まで手前3キロ半の宿に決めた。

 

佐喜浜港からが長い。

 

 

 

 

歩けど歩けど‥‥。

 

 

 

 

 

宿のロッジ室戸岬に着いたのは、午後三時半だった。

そうとう疲れてはいたが、

 

宿のお嬢さんに「お寺まで何分くらいでいけますか?」と聞くと、

「そうやね、片道30分くらいかな〜」

「そうですか〜、それならこれから行ってきます!」

と、リックは置いて足早に向かった。

 

なぜここで元気になったかというと、この宿に着く手前で今回の区切り打ちで初めて、

歩き遍路さんの一組と会ったから。

 

あ〜、いた〜。

無理矢理捕まえて話まくる。

九州から来たという親子(母娘)さんでした。

しばらくは一緒に歩いて、追い越した。

 

かなり早く歩いたと思ったが、山の登り口までですでに宿から30分ほどかかっていた。

最後にこの登山道を上がれば、最御崎寺だ。

 

止んでいた雨もまた降り出し、陽も陰ってきたので少し焦りだす。

 

 

室戸岬・最御崎寺に上がる登山口に着いたのは午後四時ごろ。

 

 

かなりバテていたので、最後の山登りがきつい。

本堂まで約700メートルある。

必死に登る。

 

やっと着いた。

※二十四番・最御崎寺

 

 

 

室戸岬の燈台。

 

お参りをしてまた山を下りる。

山は下りの方が危ない。慌てると滑るからだ。雨が激しくなってきたので

「慌てない、焦らない、慌てない、焦らない‥‥」と

唱えながら、急いで駆け下りた。

 

再びさっきの国道まで下りて、宿まで引き返すが、風も激しく思うように歩けない。

向かい風だ。

笠が飛ばされそうなので、手でしっかりと押さえ、

リックを担いでいないので背中も寒い。

とにかく急ぐ。

 

全速力に近い速度で、走るように歩いた。

のに、なかなか着かない。

なぜだ?

焦れば焦るほど、時間は長く、道のりも長く感じるのだ。

最後の三キロ弱が、永遠の長さに感じてしまったほど。

それまですでに40キロ以上歩いてきているのに‥‥。

 

 

宿が見えた時は嬉しかった。

玄関でびしょ濡れのカッパやズボンなどほとんど脱いで(宿の客は僕一人なので誰もいない)、

風呂に飛び込む。

極楽の瞬間。

 

 

夕食はこんなに豪華だったが、一口くちを付けたら食べる気が起こらなかった。

たぶん疲れすぎたのだろう。

食欲がないというか食べられず、さげて貰う。

 

今日は、今までで一番長く歩いた。

 




宍喰温泉を朝五時半発 午後五時過ぎ宿に到着


二十四番・最御崎寺(ほつみさきじ)


長い海岸線だったが、終わってみれば楽しかった


歩行参拝十一時間半 約45キロ 宿は、ロッジ室戸岬



2009 vol.2 11/12-13 第四日目から五日目までは、こちらをクリック


インターネット版 『月刊・打組』2013年 8月号 No.130

電網・打組、富田へのご意見、ご感想、ご質問は、

Eメール utigumi@tomida-net.com まで

メニューに戻る