バックナンバー・リクエスト●

富田和明的個人通信

月刊・打組

リクエスト公開 No.3(1999年8月21日 発行)


『元気印、近藤克丸ここにあり!』

1997年7月15日   

 

 僕がいつものごとく風邪と下痢と暑さでフラフラしながら兎小舎の入口のドアに手をかけ押し開いた時、姿も見えないうちに克次さんの挨拶の声がもう僕の耳に届いた。元気な人だ。

 克次さんは狭い舞台の上で得意のストレッチ体操をしていた。ほんとに昔とちっとも変わっていない。いや、昔以上に元気な近藤克次がそこにいる。聞けば、ソロとして独立した後も一度本格的に腰を痛めたそうで、それがようやく治り、ここ一年ほどは体の調子がすこぶるいいらしい。
 しかし元気の理由はそれだけではないだろう。毎日朝晩欠かさないというストレッチでほぐしたその体の柔軟さにも驚くばかりだ。まぶしく輝く克次さんを隣で、僕はあおられながら準備にとりかかった。

 僕の体質として、相手があんまり元気に出ると僕の方は先ずちょっと引いてしまう、というのがある。
 どちらかというと普段は逆のパターンが多く、僕がカラ元気を出してしまったりするのだが、今日はその必要がなく、元気で体がパンパンに張っている克次さんにまかせておけばよかった。
 そしてじっくりと反撃のチャンスを狙う。こういうコンビの体制が非常に懐かしく、嬉しいことであったのだ。何といっても、克次さんとは話もしやすいし演奏もとても楽。たいした打ち合わせもなく、楽しく進行していけるのは、二人だからこそ成せる世界であります。

 そして本番を終えて改めて感じたことだが、こんなに元気で溌剌としていた克次さんを見たのは、いつ以来なのか・・・思い出せない。
 佐渡時代、一緒に過ごした長い時間の中でも見たことがなかったような、嬉しい笑顔だった。これまでの太鼓人生の中で、今が一番波に乗っている、そう語っているような近藤克次の顔が僕の目の前にあった。
 克次さん、ほんとうにありがとう!
 
 今回の内容は、佐渡国鬼太鼓座と鼓童にまつわる話一色に染まったのだが、お互いにまったく話足りないところで二時間がたち、残念ながら時間切れでこの会を終えてしまった。またいつかこの続編はやりたいものだ。
 演奏した演目も「鬼剣舞」「二人三宅」「三味線合奏」「克次桶ソロ」「大太鼓」「酒屋唄」など、佐渡時代の懐かしい演目ばかりで、たまにはこういう会もいいだろう。唄も気持ちよかった。
 打ち上げでは貝殻節も二人で歌ったが、やっぱり唄を一緒に歌えるのは本当に気持ちいいことだ。

 最後に一つ、この日いらっしゃったお客様の皆様方に、この夜聞いた話の内容は、他の人に絶対にしゃべらないようにお願い申し上げます。

 

※タイトルにある「克丸」は鬼太鼓座当時使われていた克次の別名

 

 

●公演チラシ

▲(後記)このコンサート、鬼剣舞で幕を上げたが、克次さんはよくこの踊りをいまだにきちんと覚えているものだと感心した。この時僕は太鼓を叩いただけでも、うろ覚えの箇所が多かったというのに。
 僕が最初に克次さんと会ったのは、佐渡の真野の稽古場だった。この時も確か克次さんは剣舞の頭飾りを付けていた。稽古場見学に訪れた当時僕が19歳で、克次さんは佐渡國鬼太鼓座に入座したばかりの18歳、その後僕も入座してからは鬼剣舞の稽古に明け暮れたのだが、今となってはすっかり忘れてしまった。
 克次さんの踊りは素晴らしかった。『劇男・一世風靡』とジョイントをしていた頃は、一緒に稽古場でバク転やらバク宙の稽古をしていました。克次さんは中学時代体操部で身のこなしが軽く、僕はまったくの運動音痴でしたがバク転まではなんとか稽古をしていました。

 鬼太鼓座から鼓童になってすぐ林英哲さんが抜けた後、舞台及び稽古場で皆を引っ張って来たのが克次さんでした。その後克次さんが腰痛で舞台を離れた後は、今度は僕がその任を引き継ぐことになったのです。
 いっしょにやっていた頃、舞台の上では二人は張り合っていましたが、オフステージでは克次さんの天才的なしゃべりにはとても太刀打ちができませんでした。仕方なく僕はしゃべりでは勝てない分、日記帳に向かって夢中で文字を並べていたのです。
 現在、克次さんは奥さんと二人で、またはソロで大変忙しい毎日を送っていらっしゃると思いますが、最近は連絡を取り合っていないので詳しくは知りません。


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