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富田和明的個人通信

月刊・打組

リクエスト公開 No.11(2000.6.5 発行)


『音の聞こえない太鼓』

 耳の事故報告  

1997年6月24日 

 

 あれから3ヶ月以上が過ぎた。そろそろあの事故の話をしてみようと思う。
 僕が40歳の誕生日を新潟県越路町で迎えた話は以前にここで書いたが、その翌日、3月8日にそれは起こった。
 交通事故ではない。僕が子供たちに太鼓を教えていた時に起こった。このグループでのレッスンは、音楽スタジオを借りての太鼓の練習というか、太鼓を囲んで楽しく叩くというような時間を持つことであって、教えるということより、どれだけ彼らが自由に太鼓に触れられ、叩ける環境や雰囲気を作る手助けができるかが、僕の役割だと思ってやってきた。普通の太鼓指導とはかなり違うかもしれない。こんな時間を月一回持つようになって一年になった頃だ。

 最初は僕が決めたリズムを皆で回し打ちをしていたが、その後、地打ちのリズムだけを決めてみんなで太鼓を好き勝手に叩き始めた。僕も太鼓を叩いたり踊ったり声に出して叫んだりを繰り返していた。その動きの中で、僕が太鼓に愛撫でもするかのように太鼓の皮面に左頬を付けるような仕草をしたとたん、
「バアン!」
と、かつて受けた経験のない強い衝撃を左耳奥に感じてのけぞった。
「あれ〜 俺はどうなったんだあ?」
皆も太鼓を叩くのを止めた。何が起こったのか思考が止まってしまっていてすぐには解らなかった。僕の目に白い天井が映っていた。そして「キイーン」という大きな音が耳を突いている。
 僕の左耳が太鼓の皮面に接近しすぎていたのと、一緒に太鼓を叩いたり踊ったりしていた一人のバチが太鼓の皮に振り下ろされる、そのタイミングが合ってしまったようだ。
 耳がオブラートに包まれているような、音にモヤがかかったような感じだが、命に別状があるわけでなし、とにかくスタジオの外に出てみた。
 空は晴れている。深呼吸をして息を整えると、どこかでスクーターが走る音、小鳥がさえずる声が聞こえてきた。
 スタジオに戻ろうと後ろを振り向こうとしたその時、足元で「ジャリン」と頭に響く音がした。下を見るとマンホールの蓋を踏んでいたのがわかったが、その聞こえてくる音が異常に大きい。体がふわふわするし、何かがおかしいと思うのだが何がおかしいのかがわからない。
 スタジオの中に戻って皆が心配そうに見つめる中、僕はバチを手にとって軽く締め太鼓を叩いてみた。いつもなら「トントントン」と軽やかな音が聞こえるはずだったが、そこで僕の耳に届いたのは「ジャリジャリジャリ」と銅鑼でもひっかくような音だったのだ。

 すぐに自宅から近いO耳鼻咽喉科医院に駆け付けた。
 あごヒゲを生やした若いお医者さんに話を聞いてもらうことで静かな興奮が少し落ちついてくると、頭のふらつきがひどく、ものを考えることが非常に鈍くなっていることを感じてきた。つまりいつものボケがより激しい。そして聴力検査の後、医者はこう説明してくれた。
「鼓膜は破れていません。音声障害があるのはおそらく内耳のどこかが損傷を受けているのです。入院するほどではないでしょうが、安静にして今は大きな音を聞かないように。治るか治らないか、まずこの一週間が大事。実はこういう症状に対する確実な治療方というのはまだ確立されていませんが、こうした場合は90パーセントの医者はこの薬を出すと思います。治療の確率が高いということです。一週間たってかなり回復する場合は良性のもので、症状が良くならない悪性の場合はもうそれ以上時間がたっても残念ながら治る可能性は非常に低いのです」
僕はその薬をもらって帰った。

 その後決まっていた仕事はキャンセルして二日間は寝ていた。
 四日目の学校公演は完全に休むことはできず、三味線だけは耳栓をして弾くことになった。耳栓をすると外音が金属音に変わる障害はなくなるが、耳鳴りは大きくなるし、当然のことながら自分の演奏する音が聞こえにくく、音の勘所もよくわからない。自分が弾いていても他人が演奏をするのを聞いているような感じで、演奏中に声を出すと自分の声が耳栓の中でガンガンに響くので気合いの声も出せない。小指の先ほどしかない小さな栓を片耳に詰めるだけでこんな閉塞感を味わってしまうことを初めて知った。

 十日が過ぎて難聴の部分はかなり回復し耳鳴りも幾分小さくなったが、それ以上の症状は回復せず、僕は病院をS大学付属病院に変えた。O医院には結局5回足を運んだが、5回とも先生が違ったからだ。そして西日暮里のハリ治療院にも通い始めた。西洋医学がダメなら東洋医学に希望を託したかったからだ。他に以前から腰痛などでお世話になっている地元のA整体院にも何度か通った。
 太鼓も叩かず家でただじっとしているのは精神衛生上よくない。何かをしていたかった。僕の頭の中にはその月の末にある淡路公演のことで一杯だった。これは絶対に止めるわけにはいかない。それまでにはきっと治すのだと念じていたのだ。そしてまた十日が過ぎた。

 淡路公演の四日前、打撃団の全員が集まったリハーサルで事故以来初めて僕は太鼓を叩いた。もちろん耳栓をしたままでだ。不思議な体験だった。
 僕は両耳とも聴力を失ったわけではない。わけではないのに、片耳に栓をするだけで今まで聞こえていた音の世界が四分の一くらいになってしまうのだ。太鼓を叩いているのは体感で叩いている。バチを握った感じ、バチが太鼓の皮に触れる感じ相手の手の動きを見てテンポを感じる。自分にとっては違和感のかたまりなのだが、他のメンバーに尋ねると「特に前とあまり変わらない」と言われたので「ということは、どういうことなのか」と一瞬考えたが、とりあえずは叩けることに安心した。家に戻って翌日から耳鳴りがぶり返した。
 淡路島まで佐藤健作と二人で車を運転していき、公演当日朝まで目まいがして頭がふらつき体調は悪かったが、ゼナゴールド二本とカロリーメイトドリンク一本を飲むと本番までには少し楽になってきた。公演前半は少しセーブしていたが、その後はとことん叩いた。もうこれで耳が悪くなるのであれば僕の太鼓生命がここで終わってもいいと思っていた。
 公演が終わり片づけ搬出が終わり、僕は耳栓をはずした。しづかホールは海に近い。夜の潮風が体に心地よかった。

 横浜に帰ってきてその後も治療は続けたが、3ヶ月をめどにすべてを止めた。
 僕が今回の治療体験を通じて感じることは、西洋式病院への疑問だ。
 たまたまいい病院や先生に当たらなかっただけかもしれないが、S大学病院も待ち時間が長く診察時間は短くもらう薬は多く、三回通ったがここでも先生は毎回変わった。検査をいくつか受けて薬をもらうのだが、清算にまた時間がかかる。
 ハリも整体も保険がきかないので自己負担費は高いが、予約制なのでそれほど待つことはなく、話もじっくりと聞いてくれ、それに対する意見も親身に感じられるものだった。ハリ治療は長く通ってなかなか良い結果は得られなかったが、先生には感謝している。
 現在の耳の症状は「ジー」という耳鳴りと音声障害が残るだけで、目まいや吐き気はない。
 電車に乗ると発車のベルや車輪がカーブできしむ音などが耳につんざく、頭のてっぺんを握り拳でトントンと叩くと、アイヌのムックリをはじいているような「ブンブン」という音が左耳奥に響く。スピーカーから流れる音はある程度の大きさでも大丈夫だが、生音には小さな音でも反応が鋭い。まだ当分、三味線や太鼓の音を聞いたり自分が演奏をする時には耳栓を外すわけにはいかないが、耳栓をして演奏をすることには随分と慣れてきた。最良の治療はやはり時間の経過ではないだろうか。
 もう以前の状態に回復することはないかもしれないが、僕たちは生きているかぎり色々なハンディを積み重ねていくのだから、また一つ僕の上に些細なことが被さったと思うことにした。

 今回僕が皆さんに一番伝えたいのは、太鼓という楽器はその一発の音で人間を幸せにすることができる楽器だが、一面、恐ろしい事故を招く可能性も持っているということだ。
 僕は太鼓とかかわってきて20年以上になるがそれでも怖いと思ったことが一度もなかった。太鼓の音だったらどんなすさまじい大音量でも快感だった。まさか太鼓指導をしている時に、バチの一振りが僕にこんな結果をもたらすとはまったく思いもよらなかった。その油断、認識不足を今恥じている。太鼓にたずさわるすべての皆様にこのようなことが起こらないことを祈ります。
 そして僕が強く興味を持つようになったことが他にもある。それは音のない世界のことだ。
 初めて耳栓をして太鼓を叩いた時、僕にはそれが音の聞こえない太鼓と感じた。手とバチの感触だけで叩いているように覚えた。「こんな音、太鼓じゃない」と思った。でも、「じゃ、太鼓の音って何なんだ? 音がまったく聞こえない人々にとっての太鼓は、ただの木と皮の器だけなのだろうか? 」聞こえない音を感じる気持ちをすっかり忘れてしまったのではないかと考えたのだ。
 それが太鼓の神様からいただいた僕への誕生プレゼントだったようだ。

                     

(後記/2000.6.5)あれから三年以上が過ぎた。耳鳴りはずっと残ったままだが、その状態には慣れた。他には、風邪を引いたり疲れて熱を出したりすると左耳奥が重く腫れたようになるくらいで、普段はどういうことはない。

 このことがキッカケで駒沢中学聞こえの学級(聴力障害を持つ子どもたちの特別クラス)に年二、三回通うようになった。みんなと楽しく太鼓を叩いている。   


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