インターネット版●

富田和明的個人通信

月刊・打組

2000年 6月号 No.57(7月4日 発行)


『その日の気分打・夏の予音

5月25日〜6月27日

今回の文は書き下ろしではありません。この一ヶ月はあまりに忙しく時間がとれませんでしたので、HPの「おまけ・その日の気分打」に書かれているものを紹介しました。ヨーロッパツアー中も、うまくいけば(何しろ海外からの通信は初めてなのでどうなるかわかりませんが)、この「おまけコーナー」は更新されます。 

   

5月25日(木)〜28日(日)
「二千年を打つ会」以来の淡路島でございました。太鼓アイランド淡路の講習会も11回目となり、それでもまだまだ太鼓を叩いてみようという方が多く、嬉しいです。今回は初心者コースと経験者コースに分けましたが、集まった方の傾向というのがだんだん見えてきた感じです。元々、学校、保育園、幼稚園の先生などの教育関係、病院関係、福祉関係の方が多いんですが、島外出身の方や淡路生まれの方でも長く島を離れていてUターンしてきた方がなぜか多いように思います。太鼓を叩くということと新しい出会いを求めて、というキッカケがあるようです。かく言う私・富田もその一員でしょうか。また、対岸の明石市や神戸市からの参加者もあり、これは橋で近くなったお陰です。バスで40分〜一時間の距離ですから、東京で考えればこの時間は身近な通勤圏(バス代はちょっと高いですが)です。島外の方も大歓迎です。

5月29日(月)
只今、名神高速のリフレッシュ工事期間なもんで、渋滞を避けるために今朝は四時に淡路の実家を出発しまして、この時間に出てもやはり多少は工事渋滞に引っかかり、結局走行約八時間で横浜の我が家に帰還いたしました。頭の中が関西弁(淡路弁)・関西文化圏より、標準語(関東弁)・関東文化圏に切り替わりました。今日は暑い一日になりそうです。

6月2日(金)
今日も気持ちのよい夏空のようです。昨日は、熊谷修宏と兎小舎公演の二回目の稽古をしておりました。スタジオに入っておりますと時間が矢のように過ぎていってしまい、もうこんな時間?と驚きました。稽古を終えて、我家の庭でカレーライスを食べておりましたら、夏の夕暮れ、浴衣でも着て、夜店をひやかしに行きたくなりました(我家のまわりにはそんな場所はないのですが)。

6月3日(土)
昨日の太鼓アイランドに、まったくの初心者の方四人がいらっしゃいました。その中の一人Aさんは御歳69歳、30年前の40歳の頃より太鼓を叩きたかったのだけれど、仕事が忙しく今になったそうで、これからは「太鼓だ」とはりきっておられました。70を前にしてこれから始めようとする意志には驚きましたが、Aさんが太鼓をやりたいと考えはじめた1970年、大阪万博のあった年、僕は中学一年、日本の太鼓界の創生期と言えると時期で・・・、そうか、日本の太鼓もまだこのくらいの歴史しかないんだよなと、あらためて思いました(太鼓の歴史や民俗芸能の歴史はもちろんもっと長いが、太鼓を叩きたいと思った人がバチを握れるようになった環境はまだまだ歴史が浅い)。

6月6日(火)
久しぶりに永田町の国立劇場に行って来た。資料閲覧室で太鼓のビデオを見るためだが、小倉祇園太鼓のビデオは昭和53年モノ一つだけでした。それもあまりぱっとしない演奏のモノで、名だたる太鼓芸能がこれでは恥ずかしいではありませんか!HPを見ると地元・小倉では年々盛んになっているようですから、それを現地以外で見られないのは残念。八丈太鼓も菊池隆さんの演奏モノは何本もあるんですが、それ以外の方となるとホンの少しだけ。ほとんど菊池隆太鼓と言っていいくらい。稲田かえさんのはテープだけありまして、聞きましたが、やっぱり同じ八丈でも一人一人違うモンです、ノリが。もっといろいろな八丈や小倉祇園を聞きたいと思ったんですが、やっぱりそれは現地に行くしか方法はないですかね。どなたか国立劇場以外で太鼓ビデオなどを見ることができる場所を御存知の方はいらっしゃいませんか?個人の方で秘蔵フィルムを見せてくれるというのも大歓迎なのですが・・・・。

6月10日(土)
愛知県田原町に行って来ました。渥美半島の中頃に位置する町ですが、こじんまりとしたアットホームな感じの会館で、音の響きも心地よかったです。客席のおばあさんが、最初の二曲が終わったところで「いやまあ、大変なものを見せてもらって、私はこんなものを初めて見たんでこりゃもうビックリ、え〜もんで・・・」と話し始め、これが、実に温かい話し方で、周りのお客さんも温かく笑っておりました。私もその時、舞台の中央におりましたのでおばあさんに笑って会釈を返しました。終演後、ロビーで偶然お会いしましたら、話しておりましたのが95歳のあばあさんで話しかけられていたのが94歳のおばあさん、きんさん、ぎんさんのようなお二人に囲まれて写真を撮られました。
東京打撃団のファーストCDがいよいよ発売されるそうです。まずは七月のヨーロッパで先行発売されるようです。日本での発売も続くようですが、詳しいことはまだ知りません。ま、そのうちにまたお伝えできるでしょう。私もすっかり忘れておりました。なにしろちょうど一年前、葉山の御用邸近くで録音したんですからね。今聞いてみると、とても新鮮に聞いてしまいます。

6月15日(木)
中国留学中に、初めて北朝鮮の学生と話をした。中国に来ている学生は超エリート学生だが、彼らは非常にタフな人間なのに驚いた。酒はガンガン飲んで暴れるし、スポーツは何でも意欲的で体力があり、勉強もよくしていた。そこに中国と韓国の雪解けが始まり、今度は韓国人留学生が中国に大挙押し寄せてきた。その数の多さに北朝鮮学生が隅に追いやられた感があった。中国に行った方は、現在の中国の韓国蜜月関係を肌で感じたと思うが、その浸透ぶりには驚かされる。北朝鮮はその中国と韓国に挟まれて今はもうどこにも行きようがない。北京を見て、朝鮮半島が統一される日は必ず来ると、思っていた。今朝の新聞で見た、金総書記と金大統領の握手と笑顔、統一への合意は、静かに心ざわめいたニュースだ。日本の侵略がきっかけで、結果的に朝鮮半島が分断されたまま時間だけが過ぎてしまった。この目で両国の壁が崩れ去る日を見たい。

6月16日(金)
スウェーデンに続いて、ドイツが原発廃止を決めた。昨日に続いて何か新しい光を感じさせる。日本も必ずできるはずだ。廃止できないことのごたくを並べられるのはもう飽き飽きしている。どうすれば原発にたよらない社会生活を送れるのか、日本政府や電力会社もその道筋を示してほしい。東西統一を成し遂げたドイツには、困難に立ち向かう力があるようだ。統一の困難に比べれば、原発の廃止など大きいものではないのだろう。21世紀、朝鮮半島の統一を成し遂げられたら、韓国朝鮮はすさまじいエネルギーを発するに違いない。ヨーロッパではドイツが、アジアでは韓国朝鮮が核となっていくのではないか、そんな予感を抱かせる昨今だ。

6月21日(水)
梅雨の中休みが続いております。この頃は、各種イベントリハーサルの毎日でございまして、何と言っても大きいのは、ハノーバー万博ジャパンデェーの記念式典用リハーサル。昨日と今日がその大詰めリハーサルでした。このイベントは打撃団だけではなく、他の出演者も多く、スタッフも多く大変大がかりな催し物です。リハーサル終了後、打撃団は海外荷造りの最終チェックを済ませました。いつものことながら、海外に太鼓類を送るのは本当に大変(と言っても僕はほとんどこの作業には加わっていませんが)。さて今回の旅はどんな旅になるでしょうか。

6月24日(土)
東京池上の養源寺という日蓮宗のお寺で太鼓を叩かせて頂きました。東京でもこんな落ち着いた雰囲気の場があるんですね。立派な本堂とお寺の太鼓にもびっくり。宮太鼓に平太鼓にうちわ太鼓に木魚に、音の鳴るものが実にたくさんありました。音楽と宗教は切り離せないものです。昼間のコンサートが終わった後、お堂では夕方のお務めらしき読経と木魚の音が鳴り響きました。

6月25日(日)〜27日(火)
山梨県清里にあるアサヒビールの保養所に宿をとり、森の音楽堂で夏のコンサートの為の稽古をしました。中国の孟暁亮(モン・シャオリャン)さんとイランのエスファンディアル・ラリさんがジョイントのお相手です。お二人とも日本語は流暢なので言葉の壁はありませんが、音楽の捉え方はそれぞれ全く違うので、その共通項を探りながらそれぞれを生かすというのは、簡単なことではありません。その異文化とのぶつかり合いこそがジョイントの楽しみです。僕にとって、中国はある程度馴染みがありますが、イランという国は未知の国です。イランの人と初めて接し、その生の声を聞きました。「中国は四、五千年の歴史しかありませんが、ペルシャは一万三千年の歴史があります」と、ラリさん。日本の文化は中国朝鮮から強い影響を受けていますが、ラリさんの言葉ではその中国の文化もすべてペルシャから伝えられたもので、世界の文化の中心がペルシャということになります。その主張の堂々振りに、一同、返す言葉を無くしました。

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インターネット版 『月刊・打組』2000年 6月号 No.57

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