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富田和明的個人通信

月刊・打組

2001年 11月号 No.70(11月18日 発行)

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いまこそアメリカに行こう!
                       
10月10日〜17日

 午前10時前、到着予定時刻よりも早く、ユナイティッド航空838便はサンフランシスコ空港に着陸した。どこをどう見渡しても熱気がない。人の姿が少なく、拡張工事が終わったという空港がやけに広く感じられた。9月に端を発した事件の影響をまざまざと見せつけられているような気がする。
 スーツケースをピックアップして出口に出ても迎える人は一握りもない。少し離れた場所で、僕を見つけて大きく手を振る人の姿が目に入った。少しシワが増えていたけれど(ゴメンね)ほとんど昔と変わらない、とびっきりの笑顔のPさんだった。
 何年ぶりに会ったんだろう、何年ぶりのアメリカなんだろう‥‥頭の中で考えてみる。鼓童での最後のアメリカツアーは88年1月〜3月、立ち寄るだけなら89年春にも来たけれど‥‥。とにかく13年振りだろうか?
 この13年の間に、僕にも色々なことがあった。でも簡単に言ってしまえば、僕がグループでの太鼓打ちから一人の太鼓打ちになってアメリカに帰ってきた、そういうことだと思う。

 Pさんの運転でサンフランシスコからサンノゼへと向かう。豆腐屋、資生堂、牛丼店‥‥、落ち着いた静かなたたずまいのサンノゼ日本町が懐かしかった。
 眼の中に入り込む眩しい太陽の光と、深く青い空。
 その空の下、町を一時間ほど歩いてみる。星条旗の数が増え、ビンラディンの絵入り指名手配Tシャツが店のショーウインドで目についたが、それ以外は何も変わっていないように思えた。
 夜にはPさんが代表を務める san jose taiko (サンノゼ太鼓 )の稽古場に行く。
 ここには大きな変化が見られた。サンノゼ太鼓(1973年にスタート。アメリカで二番目に古い歴史がある)は今ではすっかりプロの太鼓集団として活動をしており、稽古場の広さ、太鼓の数の多さに驚かされた(アメリカの多くの太鼓チームは、ワイン樽を使って自分たちで皮を張り太鼓も作る)。
 翌日からは、ソノマ郡にあるSonoma County Taiko(ソノマ太鼓)で『太鼓アイランド』ワークショップが始まる。このチームのHさんが僕をアメリカに呼ぶ準備受け入れを全部引き受けてくれたのだ。
 アメリカの太鼓チームで太鼓の練習を始めたばかりだというHさんから電子メールが届いたのは、去年の春先のこと。僕の太鼓演奏は一度も聴いたことがないのに、僕のホームページの内容がHさんの心の琴線に触れたようだった。その後秋、日本に里帰りの折りに太鼓合宿『Oh!太鼓・横打ち三つ巴大会』に参加し、今年の春には太鼓アイランド淡路にもいらっしゃった。
 その時、どちらからともなくアメリカでのワークショップの話が持ち上がったが、こんなに早く実現するとは僕も思っていなかった。Hさんのお陰である。
 ソノマ太鼓で、初心者クラス一回、演技クラス三回、土曜日にはサクラメント市に移動して、午前に子供たちのクラス、午後はサクラメント太鼓団でのワークショップを行う。短期集中、出発から帰国まで全行程八日間のアメリカの旅だ。

 心配していた言葉(英語)の問題も、最初は少しとまどいもあった(僕の場合、外国語を喋ろうとするとまず中国語が出てくる。何しろ久しぶりなもんで‥‥)けれど、後半はほとんど気にならずに出来た(と思う)。やはり大切なことは、伝えようとする、伝えたいと思う気持ちがどれだけあるかだろう。
 アメリカで鼓童時代の僕を知っているという人間はかなり古い人たちで、大方の人は当然ながら知らない。だから知ってもらう為に、どこに行ってもまず太鼓を叩いた。これが一番判りやすい自己紹介になるからだ。初対面の人に短い時間で知ってもらおうとするにはこれしかない。
 僕としても笑ってはいたけれど、真剣勝負のつもりでかなり力を出したつもりだ。これが毎回のことなので疲れは確かにあったが、その後のみんなの反応が僕の疲れを吹き飛ばさせた。
 とっても素直に喜んで受け入れてくれるからだ。顔や体や行動に、気持ちを表すことが自然にできる。
 日本での場合は、時として、良かったのか悪かったのかよく判らず、後々にその反応がゆっくりと出てくることがあるが、アメリカではその場でストレートに出る。その気持ちよさがあった。
 ワークショップでも出来るだけ多くのものを吸収しようとする意思を強く感じた。ただ、13年以上前の状態(アメリカでの太鼓創世期)と同じではない、熟成期を迎えている太鼓に対する自負も感じられた。だからこそ僕も本気で立ち向かったのだ。その緊張感が心地よかったのかもしれない。
 15日夜、ソノマ太鼓での最後のワークショップを終えて、みんなが僕を囲み温かく言葉をかけてくれた。その笑顔が嬉しかった。よし、これでどこででもやっていけるぞ、という大きな自信をまた一つもらった気がした。

 日本を発つ前、連日アメリカテロ関連ニュースが繰り返され、いったいアメリカはどうなっているのだろうか?という心配があったけれど、来てみるとそういう心配は全然必要なかった。何事もなかったように、みな普通に生活している。当たり前だけど‥‥。
 まったく影響がないのかと言えば嘘になる。自分の周りで失業者が増え、仕事が減り、将来に多少の不安を持っている、と皆が言っていた。でもそれと、太鼓を叩くことは別だと言う。それほど、着実にアメリカでの太鼓人口は増え、太鼓文化が浸透し、見る目も、叩く技術も上がっている。
 自分の国が戦争をしている状態で、太鼓を打ち続けることがどういうことなのか?日本で同じことがおこったらどうなるのか?
 戦争には反対だが、宗教文化の摩擦から生じる争いを止める方法はどこにある?兵士武器弾薬を彼の地に送り込むより、太鼓使節団をアフガンに送るのはどうだ!とも思ったが、音楽を聴くことも否定する人々には逆効果だと知った。自分がいいと思ってやっていることが、毒であったりする、その違いを認識理解するところから始めなくてはいけない。
 悲観も楽観もしない。ただ、本当に音楽に力がないのかこの眼で確かめたい欲望もある。いつの日にかアフガニスタンにも行ってみたい。

※この後、一週間でハロウィーンでした。

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皆様へ

 1995年7月の結成時より参加している東京打撃団ですが、来年の1月12 日をもって僕はグループからは離れることになりました。
 今年の6月からすでに一人の太鼓打ちとしてスケジュールを立て、個人で活動をしています。
 これまでも個人での活動はしていましたが、今はすべてを自由に、自分の責任において決め、動いています。グループを離れてもやってゆけるのかどうか迷っていた時期もありましたが、心を決めて報告してしまえば気が楽になり、今は苦しいけれど楽しい(どういうこっちゃ?)毎日です。もうどう転んでも、僕は僕で太鼓を叩いて生きてゆく、やっとそんな単純なことをつかみました。
 これからも皆さまの叱咤激励、御声援をお願いいたします。
                               

2001年 晩秋 富田和明

十月号の発行ができませんでした。来年新年号を合併号とせず、1月号、2月号の二号に分けて発行いたします。

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インターネット版 『月刊・打組』2001年 11月号 No.70

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