只今、2020年9月8日まで、毎日配信中!
富田和明的日々是無打噺

 

 

2013年9月8日、
2020年に東京でオリンピックが開催されることが決まりました。

僕も何か自分でも始められることがないかと考えまして、翌9月9日から2020年の東京オリンピックとパラリンピックが終了する、2020年9月8日まで(パラリンピックの閉会式は9月6日の予定)、毎日、メールマガジン日記を書く事にしました。

題して、
Tomida Mail Magazine
富田和明的2020年日記『TMM2020』
2013.9.9~2020.9.8

内容については、ほとんどどうでもいい内容になると思います。
日々是無打話。
でも毎日書きますよ。

 

2013年9月9日から毎日一回、メールで配信いたします。
7年間、一括払い有料(2,020円)配信です。
途中からの配信でも、同料金となります。
お申し込み受付日から配信します。
配信料の入金は
、一週間以内にお願いします。

申し込み日以前のバックナンバーについても、ご希望の方には送ります。

途中配信休止、再開始は自由。
但し停止分の払い戻しはありません。
入金後の返金はいたしません。
富田の病気怪我などの理由により配信できない場合もあります。
ブログと重複する内容の場合もあります。

以上の条件で了承頂ける、配信ご希望の方は、
1)、お名前
2)、ご住所
3)、連絡先お電話番号
4)、郵便振替か、銀行振込か、
現金直接手渡しかを、utigumi@tomida-net.comまでお知らせ下さい。
※富田と面識のある方は、1番と4番のみをお知らせ下さい。

メールを頂きましたら、入金口座、支払い方法などを書いたお返事メールを24時間以内に出します。

こちらからの配信は、主にパソコンから発信します。
携帯メールなどで、受信制限拒否設定をされている方は、下のアドレスを登録して拒否を解除願います。

utigumi@icloud.com
こちらからの配信は、すべて上のアドレスで行います。
こちらからのお返事メールが届かない場合は、この拒否設定解除がされていないことがほとんどです。

 

それでは、お申し込み、お待ちしております。
2020年は、どんな年になっているでしょうか‥‥‥。

 

 

富田和明 公式ホームページ

プロフィール

太鼓アイランド

 

 

見本/2019年5月1日号



TMM2020 No.2061 2019/5/1(水)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
----------------------------------------

 

令和元年となった。

雨かと思えば、薄日が射すやわらかな朝だ。

TVは、朝から新天皇即位式に向かう徳仁(なるひと)親王の動きを追っている。

 

 

 

僕はずっと前から楽しみにしていた神田連雀亭(れんじゃくてい)へと向かう。
https://ameblo.jp/renjaku-tei/entry-12450059355.html

 

駅でも即位を祝っていた。

 

 

 

開演は夜6時だけれど、今日連雀亭に僕が着いたのは午後2時20分。

その時は、まだ道路に人が一人出ているだけ。

 

 

ああこれなら昼ご飯を食べに行っても大丈夫かなと、一旦列を離れた途端、
二人が列に加わったので何となく嫌な予感もして、

もうポカリを自販機で買っただけで僕も列に加わった。

 

 

何の為にここに並んでいるのか?

それはここでの夜の会に講談師・神田松之丞さんが出演するからだ。

連雀亭は当日券しか出さない小屋で、しかしだからこそこうやって前売りチケットを手に入れられない僕のようなファンでも、見るチャンスが与えられている。

 

 



そうやって待っていると、どんどんと人が僕の後ろに並びだした。

まだ開演3時間前にもなっていない。
小雨も降って来たので、建物の庇に身を寄せる。

 

 

この小屋はキャパが38席なんだけれど、昨年末僕が初めてここに初めて来た時は、開演2時間前に来て並んでも入れた。

ところが‥‥‥

今日は実は朝10時建物の開館時にすでに夜の会のチケットを求めて並んでいる人たちがいて、整理券をやむなく出したというのだ。
その数、17枚。

それを僕たちは知らなかった。

 

僕は充分大丈夫だろうと隣の若い通人と、これから長い待ち時間になるであろう時に備えて松之丞談議に花を咲かせようとしていたその時、

若いスタッフ(この方も出演者の落語家さんだけれど)が降りて来て、事情を並んでいる人たちに伝えた。
そして整理券を配り出した。

すると、僕が最後の38番だった。


 


隣に並んだ若い通人は名残惜しそうに、でもすっぱりと観るのを諦めて帰っていく。
時間はまだ午後3時だけれど、小雨が降って来た。

 

 

見ようとしているのは、この興行。

 

 

これから開場の5時半までどうしようかと思ったら、何となく僕と同じようにヒマそうな方がいて声をかけた。

その人がスタッフ(若い落語家さん)と話していて、けっこうここに詳しい方のように見えたので、
「ちょっと話を聞かせてもらってもいいでしょうか?」
と声を掛けた。

すると快く、じゃ一緒に時間を潰しましょうかとなった。

 

その方は自分でオニギリと缶ビールを持参していて、僕は近くのコンビニで弁当を買い、近くにあったビルのオープンテラスに腰を落ち着けた。


この方は2年前から松之丞さんを追っかけている人で、僕の知らない講談話を色々と聞かせてもらい、瞬く間に二時間が過ぎていく。

もちろんラジオのことも全部知っているので、お互いにその内容で盛り上がる。
いかに松之丞さんが素晴らしいかと二人で確かめ合っているという、外から見れば気持ち悪い二人に見えただろう。

 

時間になって二人は腰を上げ、そろそろ小屋に戻りましょうとなった時、
その人は、そう言えば僕も淡路島に行ったことがあるんですよ、と言った。

父方の祖母が淡路島の五色生まれの人で、五色浜に小さい頃遊びに行っていたというのだ。
それではあなたの体の四分の一は淡路人ではないですかと、生粋の淡路人の僕は喜んだ。

そんなご縁もあって、本降りとなった雨の中、連雀亭に戻る。

 

 

そうすれば、玄関にこの張り紙が貼ってあるのに、


 

まだ何も知らずに並ぶ人たちがいた。

事情を知った後も、せっかくだから開演開演まで待つという。

最終的に今夜は、他に多くの人にお断りを入れ帰ってもらっていることもあり、
立見もなしで最後まで待っても一人も追加で入れることはなく、開演となった。

 

松之丞さんの前に、落語家さんの噺、三本があったのだけれど…………、

つまらない。

半分くらいは寝ていたかもしれない。


芸とは残酷なものだ。

 

 

そうして最後に出て来た、松之丞。

「待ってました!」

「伯山(はくざん)!」

「六代!」

と次々に声が掛かる。声を出しているのは全部僕だけれど。
他にものすごい38人全力の拍手に迎えられて、松之丞さんは登場した。

 

 

いや〜、鮮やか!

腹の底から笑った。

ずっと笑っていた。

楽しかった。。。面白かった。。。

 

まくらも含めて20分くらいだったろうか?

もっと聞きたかったけれど、仕方がない。

 

 

この時間の為に僕は昼から来ていた。


半分くらいの人は朝から来ていたんだから、みな相当のファンに違いない。

 

 

それにしても、この沸騰ぶり。

人気が出る、というのはこういう波になるんだろう。

年末の会では松之丞さんが開場時に受付に立ってチケット代を集めていたし、終わった後も狭いロビーに出て来てお客さんらと話していたし、僕も見送られて帰った。


しかし、今日は開演しても自分の出番ギリギリに小屋に入り、終わってもロビーに出てこなかった。
僕はせっかくなのでサインをもらいたくて、他の方(落語家さん)に言うと、その瞬間だけ松之丞さんは現れ、二、三言話してサッとサインして風のように消えた。
きっとこの後も予定が入っていたのだろう。

でも僕のために出て来てくれたので、その姿を目に焼き付けた。


勢いに触れた感じだ。

松之丞さんは、来年二月、講釈師の大名跡『六代目 神田伯山』を襲名する。

 

 

 

本降りの雨の中を、傘を持たない僕は地下鉄「淡路町」駅まで駆ける。

駅のベンチに座って、ゆっくりとサインを眺めた。

 

 

 

 

 

 

家に帰ると、新天皇の挨拶映像がTVから流れていた。

一日(いちじつ)にして顔付が変わっている。
名前が変わる即位というのは、そういう力があるのだと確信した。

そしてそのお言葉の端々に、僕は共感できるものがあった。

徳仁天皇陛下、お頼みいたします。

 

 

 

こうして僕の令和は、神田松之丞によって打ち開けられたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

見本/2019年1月3日号



TMM2020 No.1943 2019/1/3(木)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
----------------------------------------

暮れの29日に登った諭鶴羽山の展望が忘れられず、
そこで日の出を拝むことが出来ればこの上ないのではないかと、
今朝も行くことにした。
今日は車で神社まで上がって、そこからは歩くけれど。

午前5時半に実家を出発。

 

今日の道路は空いていたので6時45分には神社駐車場に到着したが、
灘の黒岩から山に上がる道路が、極めて危険な道だった。
車一台がやっと通れる幅の道がほとんどで、しかも片側は崖の所が多い。

この道で車がすれ違うことを想像するだけで恐ろしくなる。
幅寄せできる場所がないのだ。
僕はもう二度とここには車では来ない。
そう固く心に刻みながら夜明け前の薄闇を走った。

上に到着した時点で帰りの道が心配になって仕方がなかった小心者の僕だ。

 

神社から山頂までは諭鶴羽古道裏街道を上がる。
今日はまったく雪がないので、なんの心配もなく歩いた。

頂上に着けば、ちょうど7時過ぎで、これから日の出の刻だったが、
残念なことに太陽が昇るであろうところに雲がある。

でも少しだけ隙間があって、熊野の山から昇った太陽は顔を見せ、また上の雲に隠れた。
雲がまったくない空に遭遇することは稀であろう。
元旦がその稀日だったのだけれど。。。

その瞬間を撮るには何度も通う必要があるだろうけれど、
もう車で来るのはこりごりだ。

 

 

 

寒さに震えながら朝日を撮影していたスマホのバッテリーが切れ、急いで下山。

そして駐車場からアクアを発車させ道を下る。

 

 

(下から車が)来るな、来るな、と呪文のように僕は唱えながら‥‥‥

そうやって、すでに明るくなって来た山道をゆっくり下っていると、
車の少し前を「わぁっ〜」と通り過ぎるものがいた。

鹿だ。

大きな鹿だった。

「危ないよ、鹿さん!」
僕は声に出して、鹿さんに注意した。
しかし、その彼か彼女か分からない鹿は聞く耳を持たずに去って行く。
あんなのとぶつかったら大変だったろう。

山道を三分の二は下ったところで、今度は軽トラと遭遇したが、
どうもその軽トラは地元の方だったようで、
僕のアクアを見たとたん、電光石火の如くバックして行った。
信じられない光景を僕は見た。バックで‥‥‥‥‥‥。

どんな素晴らしい運転技術を持った人だったのか、僕には確認できなかったのだけれど、
僕は手を合わせて、その車を見送った。
この道で観光客の車と会って、これまで何度も彼は散々な目に遭って来たに違いない。

 

 

そんな訳で下の道路まで降りられた時には、心底ホッとした。

車を止めて、しばし海を眺めた。
朝日を浴びた、美しく凪いだ海が眼の前に広がっている。




 

淡路島に来たら、自然が本当に素晴らしいと思う。
だから時間があれば、他に何をすることもなく、これを満喫するに限る。

9時には実家に帰っていたので、朝飯前にこんな風景を見ることが出来る。

 

 

 

 

朝飯を食べた後、新年の挨拶に来た従兄弟のYさんに、朝に行った諭鶴羽山の話をしていると、
「常隆寺(じょうりゅうじ)に行ったけ?」
と言われる。

それはどこかと聞けば、淡路市にあった。

実家からの距離は先山へ行くのと変わらない。
常隆寺の何が良いのか分からなかったけれど、従兄弟が勧めるので、
しかもお母はんも珍しく一緒に行くというので、今日も二人でお出かけ。

 

 

車で40分ほどか、道路は途中まで良かったのだけれど、最後の山道はここも細い。
諭鶴羽山ほど長くはないのでまだいいが、ここもまた車では行きたいと思わない。

上まで来ると、常隆寺の境内に車が停められるスペースがある。
そこに七、八台の車がすでに上がっていた。

鐘をついて、参拝した。

 

 

しかしこれで終われば、何の為にここに来たのか分からない。
ここから奥の院に上がる道があった。

 

 

これを登ると伊勢の森と呼ばれる場所がある。
きっと、そこが素晴らしいに違いないと信じて歩く。

そしてそこそこ歩くと、山頂に着いた。

 

 

 

常隆寺山(515m)は、先山(448m)よりもずっと高い。
北淡路随一の山と知る。

そして見晴らしも良い。
木立に囲まれ、ここが伊勢の森と呼ばれているらしい。
この木がなければ、相当な見晴らしになるだろうが‥‥‥‥‥‥。

 

 

 

ここからは瀬戸内海に浮かぶ小豆島・家島から、神戸大阪の街々、和歌山四国の山々と、島の東西南北が見渡せるのだ。

この地も絶景スポットに違いない。
だからこそ、この常隆寺には古くから天皇家所縁の人々が祀られている。
https://kobecco.hpg.co.jp/4145/

 

 

淡路島に生まれて育ち、還暦を過ぎてやっと知ったのは、遅すぎたのか?

恥じることもないだろうが、知らないことはまだまだあるのだなと痛感した。

次回は必ず車ではなく、歩いて登ろうと思う。楽しみができた。

 

同日に、淡路島の二大絶景スポットを訪ねられたなんて、
なんと贅沢な一日だったのだろう。

 

 

 


 

 

 

見本/2018年11月1日号



TMM2020 No.1880 2018/11/1(木)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
----------------------------------------

今日から11月、2018年も残り二ヶ月を切った。

1日(ついたち)は色々と手続きがあって、それが終わった後、天気も良いので千葉に行くことにした。
特に理由はないが、美味しい寿司でも食べられるかなと。

東京アクアラインを通って木更津の道の駅へ行き、地元名産品物を拝顔した後、 スーパー回転寿司やまと君津店に行く。 https://tabelog.com/chiba/A1206/A120603/12000525/

 

せっかくなのでお隣の富津市に住む、太鼓アイランドメンバーでもある屋根屋Kさんに電話を掛けてみたら、
大忙しの仕事中だというのに、わざわざ会いに来てくれた。

しかも巨大自然薯と冬瓜のお土産も一緒に、
「富津(ふっつ)じねんじょ音頭」という舞を踊りながら、
寿司屋の駐車場に現れた。

 

 

ハァ〜 秋は じねんじょ 他でもないが
長く伸びたる芋と根を とろろ味噌汁 麦とろ飯に
かけて祝うは 山の幸 
命のばして ふっつ、ふっつ、富津の里に〜 

 

 

Kさんは、歌も唄える屋根の上の太鼓打ちだった。

 

 

後光が射したようなKさんの笑顔に出会えると、つい空想の世界に引き込まれてしまう僕だ。

 

鱈腹寿司を頬張って、またアクアラインを引き返し家路に付く。
高速道路を使えばかなり近い。

 

 

家に帰って、頂いた自然薯を広げたら、かなりの大きさだ。
隣に笛を一緒に置いてみた。

 

さて、これをいったいどうやって食べればいいのだろうか?




 

夜は寒くて、初めて灯油ストーブを点けた。
暖かい。

いよいよ冬の到来だ。

 

 

 

そう思った途端、再びKさんの歌声が僕の耳を襲った。

ハァ〜 冬は じねんじょ 他でもないが
力湧き出る餅のよに 揚げてうまいは磯辺揚げ
やいて恥ずかし 焼き餅よ 
胸を焦がして ふっつ、ふっつ、富津の里に〜 


 

 

 

見本/2018年10月30日号



TMM2020 No.1878 2018/10/30(火)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

暑くもなく寒くもなく、秋を堪能するには今日の様なお天気だろう。

そんなわけで、青い空を眺めながらお散歩をして、
中央林間にあるスパイス料理店『イーマサラ/E Masala』に着いた。
https://tabelog.com/kanagawa/A1407/A140702/14042517/

 

 

スパイス料理が大好きな僕は、ロンドンに行けば必ずインド料理店に行くが、
日本でも今、ネパール料理店、インド料理店が急に増えてきている。

 

この店は、太鼓アイランドのメンバーでもあるTさんの妹さんがオーナー。
Tさんもこのお店を手伝っている。

一度食べたかったので、来てみた。

ランチを頂く。

 

 

カレー二種とスープと、豆の料理と、サラダとナンとライス。
豪華なランチになった。
思った通り、とても美味しかった。

僕はもっとスパイスが効いた方が好きだけれど、注文の仕方があるのだろう。
初めてなので、まだ注文の仕方が分からない。
辛さも様子見の辛さだった。

ロンドンのインド料理屋さんでカレーを食べると、その後二日影響が出る。
すなわち、排出される時に門を焦がしてヒーヒー言わされるのだ。
今日のはマイルドな辛さだったので、明朝も声を上げることはないだろう。

タンドール石窯炭火焼きで焼いたナンと、インド米も美味しかった。

 

ネパール人らしき人がいたので、
「こんにちは」と「ありがとう」をネパール語でなんというのか聞いてみた。
「こんにちは」が、ナマステ。
「ありがとう」が、ダンニャバード。

ナマステは、何にでも使える便利な言葉なので、耳に馴染んでいるが、
ダンニャバードは馴染んでいないので、何度聞いても忘れる。

「チョモランマ、エベレストに登ったことはあるの?」
と冗談のつもりで聞いたら、チョモランマも、エベレストも彼は知らなかった。

「え?世界一の山だよ!」と僕が言うと、
「それは、サーガルマータ!ですよ!」と彼は教えてくれた。


サーガルマータ?
股が下がるって、どこの山だ?

名前が違うのだ。
チョモランマはチベット語で、英語がエベレスト、ネパール語ではサガルマータだと後で知る。

こんなことを話していても、お客さんが次々と入って来た。
火曜日の午後1時半を過ぎても、なかなかの繁盛ぶりだ。

 

 

帰りは電車で帰る。

店から東急田園都市線・中央林間駅まで歩いて5分。
プラットホームでは急行列車が僕を待っていた。
それに飛び乗って、空いていたので席に座り、
読みかけの文庫本『花だより〜みおつくし料理帖 特別巻』を開く。

さてと、

野江が居住まいを正して、辰助どん、否、辰蔵さん、と男を呼び、
「えらい、長い長い話になりますけんど、最後まで聞いてくれはりますか」と
物語の打ち明け話が始まったところで、

 

ス〜っと、

僕の足元の先にあるドアが開いた。
見ると、あざみ野駅のホームが見えた。

「早すぎる!」

僕はそう小さく独り言を吐いて、本を閉じ席を立った。

 

まだ電車に乗って、たったの14分しか経っていない。

 

 

行きは三時間もかかったのに、こんなに早く帰ってくるなんて!

そうつぶやく僕を、

青に光る秋の空が、笑うように見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

見本/2018年10月23日号



TMM2020 No.1871 2018/10/23(火)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

昨日は変な映画を見てしまったので、今日は手堅く、これを見る。

『日日是好日(にちにち これこうじつ)』

https://www.nichinichimovie.jp

 

よく観ること、

よく聴くこと、

そして、よく味わうこと‥‥‥

 

樹木希林さんのことがなければ、見なかったかもしれないが、

静かな好い映画だった。

 

茶道とは、まず形をつくって、そこに心を入れていくことだという。

しかし、形を覚えれば習えばそれでよいということでもない。

 

太鼓をはじめ、全ての物事にも通じるだろう。

ではどうすればよいのか?

答えは、よく観て、よく聴いて、よく味わうこと、

そうすれば、そこに自然と心が宿るということだろう。

 

しかし、

それがむづかしい。

 

そして、

たのしい。

 

日日是好日。

 

利休さんがこの映画をご覧になったら、なんとおっしゃるか分かりませんが‥‥‥。

僕の場合は、日日是無打話。

 

 

 

 

 

 

 

見本/2018年8月14日号



TMM2020 No.1801 2018/8/14(火)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

総踊りのない徳島阿波踊りは、

メインディッシュが出てこないフルコースと同じ、

トリのいない寄席と同じ、

空手チョップが封印された力道山、のようなもの(例えが古すぎか?)。

あまりに美しく大きく咲いた花が、美しすぎるからと小さく切られて分けられた結果、どんな花になった?

他の演舞場に人が集まらずチケットが売れないのは、南内町演舞場だけに人が集まりすぎるからだと、
南内町演舞場名物の総踊りを禁止して、有名連を四会場演舞場に振り分けた結果は、どうなった?

四演舞場すべてに人が集まらなくなった。

 

こんなに閑散とした演舞場は、今の観客席足場組スタイルになってからは初めて見た。

 

総踊りは、徳島阿波踊りの華であり、
今や世界中で踊られる阿波踊りの中でも絶対に真似のできない特別な華なのだ。
それを、市長実行委員会側は禁止した。

馬鹿げた話と、一蹴できない世の中になっている。
安倍さんの馬鹿げた話がいくら続いても、その一つでさえ一蹴できない、覆されないのと同じ。

せめて徳島では、この馬鹿げた話を一蹴できるようになってほしいと思う。

徳島新聞社は市長と政治家を引っ張り込んで、茶番劇を繰り返す。
いつまで踊り子連は耐えられるのか‥‥‥‥。

 

 

 

 

午後1時半、徳島城美術館で藍吹雪始め、三味線の福島俊次さん、飛び入りで踊る・四宮生重郎(しのみや せいじゅうろう/90歳)さんを見る。
三味線の福島さんと、生重郎さんの踊りが特に素晴らしく印象に残った。
https://youtu.be/9IcaKvwjzkk


4時半、阿呆連の事務所地元お礼踊りを見る。

6時、徳島阿波踊り三日目開幕、両国演舞場で座る、7時まで。

その後、各演舞場を周り、また演舞場以外の踊りを堪能した。
一番面白かったのは、新町橋よいよい囃子!
https://youtu.be/xKgFegugmxA


8時半、南内町演舞場に入り、阿呆連が出てきて踊り終わるまで南内町に居る。
その後、10時までその他の場所で阿波踊りを鑑賞。


11時半、淡路の実家に戻る。

 

 

 

13日夜のみ、阿波踊り振興協会が市長の中止命令に従わず、演舞場外で強行した総踊り。
見事だ!生で見たかった。
強行はこの一回のみ。
https://www.youtube.com/watch?v=XmMGvLP07Ss

 

 

 

 

 

下は、週刊現代記者・小川匡則記者のレポート
------------------------
なぜ徳島阿波踊りが赤字になっていたのか、知りたい方はこちらを

今年の徳島阿波踊りの総踊りについては、こちらをどうぞ

 

下は、過去の富田徳島阿波踊りレポート
------------------------
『ざわめきの人夏』2002.8.11〜15 徳島阿波踊り観光)

『夏を囃して 夢みる阿呆』2003.8.12〜15 2年連続徳島阿波踊りを終えて)

『阿波立つ三年 参加賛歌記』(2004.8.12〜15 徳島阿波踊り〜同行二人連デビュー)

 

 

 

 

 

見本/2018年6月6日号



TMM2020 No.1732 2018/6/6(水)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

朝早く起きるのは変わらないが、その後時間があれば寝て休んだ。

ずっと雨、梅雨入りが発表された日。

ラウムのカッティングシートを外すのは雨の為出来ず、明日にする。

 

夜、弾!打から団。

4年ぶりに日本にやってきたMさん(以前はHさんと言っていた)が、今月だけ参加することになっていた。

天才言語学者(と僕が呼んでいる)のMさんが初めて弾!打から団にやってきたのは、四年前の発表会「打一好祭2014」の二ヶ月前だった。

まあいきなりでは無理だろうけれど、出来ることがあれば好きに叩いていて、と僕が言って発表会で演奏する曲の通し稽古に参加してもらった時、
それは起こった。

Mさんにとっては初めて聞く曲なのに、それも結構複雑な構成になっていたのに、
これまで稽古してきたメンバーと見た目ほとんど遜色なく普通に叩いていたのだ。

聞けばMさんは楽譜は見ない、周りの人の振りや叩く音を聞いて叩いているという。
それは理想的な表現だった。
見様見真似。
とはこういうことだ。

Mさんが普通に使える言葉(日本語ももちろん僕より完璧)が四カ国語で、他にも十カ国語くらいは大体大丈夫らしい。
そのMさんが今研究しているのは聾者の言葉。

ついに音ではない言語の世界に到達している。
ちなみに聾唖者という言葉は差別用語らしい。
僕が使ってMさんに注意された。

聾者と聾唖者の違いは、
「あ」が入ると、「言葉がしゃべれない」「話せない人」という意味になるらしい。
音が聞こえないのは、言葉が話せない人ではもちろんない。
声ではない言葉を使って話すのだから。
それをMさんは世界各国の、声ではない言葉を研究しているらしい。

素敵だ。

太鼓表現もその言葉の一つだ、とMさんも言っていた。
僕もその通りだという。

 

そんなMさんは、Xジェンダーで男でも女でもない性を選択している。
(よく分からない人は、自分で調べて下さい)

兎に角、Mさんの意識は開放されている。

一緒にいるととても楽しい。

弾!打から団は、人数が減ってきていたのだけれど、
そんなことを払拭させる性を持ってやってきた。

彼でも彼女でもなく、伝統音楽でも精神性でもない太鼓表現に興味を持って、
人に伝えるという言葉を模索してるMさんの姿は、
僕たちの心をとても新鮮な気持ちにさせてくれる。

 

 

 

 

 

見本/2018年5月2日号



TMM2020 No.1697 2018/5/2(水)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

僕の太鼓芸能生活は、1977年10月1日、佐渡から始まったことになっているが、
太鼓を叩き始めたのは、その一年半前の1976年4月のことだった。

横浜の映画学校在学中に、お囃子の講座が始まったからだ。
その講師が、末永克行先生。
僕が学校に入学して二年目の春だった。

末永先生は熊みたいな顔と体をしていたが笛を独学で習得してピアノも弾いた。
絵も上手くて、字も味のある筆文字を書いた才人だ。

週一回の授業があったと思う。
1年と2年の合同授業だった。
そこで僕はこの太鼓にのめり込んだ。
篠笛を買って習ったのも、この先生からだ。

その年の暮れ、先生からお誘いを受け、先生の太鼓チームに入り、太鼓の初舞台を踏む。

それが仲代達矢さんの弟・仲代圭吾さん(シャンソン歌手)のコンサート。
その時に見に来て下さっていた宮崎恭子さんとホールの搬入口でお会いして、宮崎さんが皆の前で「あなたの笑顔がとっても良かったわよ」と褒めて下さり、僕は有頂天になった。

お恥ずかしいことだが、田舎出の少年が、こんなことで調子に乗るのは無理もないのである。
誰も太鼓が上手いとは褒めていない、笑顔が良かったと言われただけなのだが、そんな一言で、人の一生が変わってしまうのかもしれない。

その後も時々先生のグループにも参加したが、最終的に鬼太鼓座に入ることにしたのは、鬼太鼓座の世界を旅することの魅力と、太鼓の迫力が違ったからだと思う。
元々の目指しているものが違った。


今日、先生が1985年に始めた『たまっ子座』の公演を見に行く。

http://www.interq.or.jp/drums/tamakko/index.html

 

昔、鼓童在籍中に一度その舞台を見に来たことがあるので、今日は二度目。

小学校の学校公演を見る。
体育館に円形の舞台空間を作って、子どもたちが360度周りを囲んでそれを見る。


鳥やカエルや動物や、風や木や雲や、機関車やたくさんの生き物、森羅万象を、
男女十人が演じて、その中で太鼓も叩く。
一時間と少しの舞台だったが、充実した中身の濃い時間だった。

太鼓のコンサートではない、太鼓も叩くが色々なものも使って表現をし演じているのだ。普通の太鼓グループとはまったく違う面白さや躍動感がある。


一言で言うなら、肉体表現としての太鼓とお芝居の舞台だ。

僕の原点はここにあるのだなと思う。

先生と今度いつ会えるか分からないが、またこの劇団の太鼓舞台は見に来たいと思う。

 



僕が19歳で、先生が32歳だったあの時。
不安だらけだったが、青春の時が駆け抜けた。

あれから42年が過ぎ、先生が74歳、僕が61歳になっている。


30年も40年も過ぎてみれば、アッという間だ。

きっと60年も、70年も過ぎてみれば、そんなものなのかもしれない。
青春はいつまでも青春のまま記憶に留まっている。

 

 

 

 

見本/2018年2月9日号



TMM2020 No.1646 2018/3/12(月)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

今日も花粉症は絶好調だったが、昼過ぎにそれは起こった。

お昼ご飯を食べようとコタツ机の上に食べ物を用意して箸を付けようとしたその瞬間、
クシャミが出そうになり、そのまま自然に任せてクシャミをした。

その時だ、腰に激痛が走ったのは。
そのまま動けなくなる。


立とうとしても立てなかった。

けれど、ゆっくり机を手と肘で押して立ち上がる。

立てた。

それで少しずつ少しずつ足を動かした。


まだ歩ける。

そこまで確認して、また腰を下ろした。今度は正座ではなく胡座で。


先ほどは正座していたのが悪かったのか、クシャミを爆音でしたのが悪かったのか、
僕のクシャミは思いっきり豪快を範としている。
モヤモヤの花粉症を吹き飛ばす、ここぞとばかりに行っていたのがいけなかったのか、
とにかくクシャミでギックリ腰になるというのは本当だった。


午後から歯医者の予約があり、車に乗って出かける。


歩くのはゆっくり歩けばいいが、一番痛かったのは車に乗る時だった。
運転席に腰を付けると激痛が走る。
ドアを開けたまましばらくその姿勢で耐えていると痛みが和らぎ、
落ち着いてから座り直してドアを閉め、出発。


歯医者さんでも椅子をリクライニングさせる時が痛いので、
お姉様に少しずつ動かしてもらう。

「これでいいですか」
「ハイ、ここでストップ(ちょっと止まって)ハイ、どうぞ」
「行きますよ」
「あ〜、速いです、とっとゆっくりお願いします」
の繰り返し‥‥‥‥手間のかかる患者だ。

しかし倒す時よりも椅子を起こす時のほうが、もっと大変だった。
ゆっくりゆっくりと起こしてもらう。

歯医者さんの治療は今日で無事に終わり、いつものM整形外科に行く。


筋肉緩和注射を腰にしてレントゲンを撮って、痛み止め薬を出してもらって電気治療をして帰る。

僕の背骨は普段から曲がっている、椎間板ヘルニアだ。

骨と骨の間のクッションが少なくなってきていて、
少しの衝撃でもギックリ腰になったりする可能性があるのだという。


この後、岩盤浴にでも行って腰を温めようかと思っていたが、
車の運転さえキツイので止めて、家に帰ってきた。

一つ一つの動作がものすごく遅い。90過ぎの爺様にでもなった気分。

今夜はM先生の言葉に従い安静にしていようと思う。

 

それで布団を敷こうと思ったら、それが出来ず、
初めて娘に敷いてもらった。

ついでにズボンと靴下を脱がしてもらって、ジャージをはくのも手伝ってもらう。
どうも妙な気分であった。


しかし問題は次だ。

横になることが大変で、何をするにしても痛い。
なのでまず布団の上で練習することにした。
どうすれば眠りの体制になれるのか、痛みの少ない動作を探す。

膝を下ろして四つん這いになり、右肩を付けるように寝転び、肩が付いたら右足を伸ばす。
次は左足のつま先で腰を支えながら、少しずつ仰向けになる。

練習の後、布団の中に入ったが、体を動かすたびに痛くてなかなか眠れなかった。

 

 

 

 

見本/2018年2月15日号



TMM2020 No.1621 2018/2/15(木)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

しばらくオーケストラを聴いていないなと思い出し、たまには聴きたいと探してみれば、
「山下洋輔、佐渡裕、東京フィル」の公演を見つけた。
その公演が今夜だった。


内容のことは何も知らずにチケットを買って、東京オペラシティコンサートホールに行く。

1600席を越すこのホールがほぼ満席だった。
平日のコンサートはチケットが売れない、などという世界とは無縁の人々に溜息。

 

 

 

 

 


 

会場に来てから知ったが、今日は洋輔さんが過去に作曲したピアノ協奏曲二曲を披露する会だった。

これは18年前と10年前に初演されたもので、
オーケストラパートは編曲者が書いている。洋輔さんと編曲者の二人三脚で作られているという。

洋輔さんはフリージャズ(即興)の人だ。
そして、どんな人ともセッションが出来る。

音楽のあらゆるジャンルの人々、更には歌舞伎、文楽、郷土芸能(もちろん太鼓も)、何でも来い!で、
セッションを重ねる毎にまたその度量が広がってゆく、
こんな多彩に演奏できるピアニストは日本、いや世界にもいないのではないだろうか?

その洋輔さんの即興ピアノにオーケストラが加わればどうなるのか?
その洋輔さんの頭の中にはどんな音が聞こえているのか?
編曲者(協奏曲1番は、栗山和樹/3番は狭間美帆)と一緒に作った曲と言える。

そしてこの不思議世界の案内人(指揮者)に、佐渡裕さんほどの適役はないだろう。
佐渡さんと東京フィルハーモニー交響楽団が篤く応えている。

 

それほど普通のクラシック音楽とは違う世界だったと言える。
合っているようで、合っていない。
合っていないようで、合っている。
これが山下洋輔という世界なのか?

コンサートのハイライトは、やはり太鼓だった。

オーケストラを聴きに来たんだけれど、やっぱり太鼓の音に惹かれてしまった。
それは僕が太鼓打ちだからということではなく、
今夜のお客様皆が感じたことだと思う。それほど太鼓が効いていた。

 

最後の曲(ピアノ協奏曲第1番『Encounter』)の第四楽章にそれは登場した。
小さい締めと小さい平太鼓だけのセットだが、彼(植村昌弘さん)が全体を導いていたように思う。
そう錯覚させる響きが、太鼓にはある。

洋輔さんが当日パンフに、
「締太鼓がフーガに参加するとどうなるか」
「テーマのリズムを締太鼓が呪文のように繰り返してボレロ的な効果を狙っています」
他にも神楽や歌舞伎のリズムを取り入れた、とある。

オーケストラの音にこの和の音が加わり、洋輔さんならではの世界になっていた。
もちろん即興演奏部分とキチンと書かれたオーケストラの演奏との融合が核なのだけれど。
佐渡さんはいつものように、汗びっちょりになって熱く踊るように全てを奏でていた。

僕の席は三階席だけれど舞台上手すぐ横で、佐渡さんの全身表情がまる見え、
洋輔さんも手元の鍵盤は見えなかったが、顔の表情などが上半身が丸見えで緊張感がよりよく伝わった。
この席を選んで正解だった。

 

 

 

 

休憩20分を挟んで、二時間半。
重厚で軽快な時間を楽しむ。
また普段のオケも聴きに来たいと思う。

そう言えば今夜の洋輔さんのコンサートの名前が、
RETROSPECTIVE

調べてみれば「回顧展」ということだった。

今夜ここに足を運んで、皆さんが紡ぎ出す音を聴いている時間は、
僕も洋輔さんと過ごした鼓童時代のことや25周年記念公演のことやら他にも
多くのことを振り返っていた、そんな時間になっていた。

 

 

 

 

 

 

見本/2018年2月9日号



TMM2020 No.1615 2018/2/9(金)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

年に一回は、歯の治療に行っている。

A歯科医院には、横浜に引越ししてからずっと通っているのですでに20年以上になる。

先生も当初は、さっそうとした青年実業歯科医師風だったが、
今ではそれなりに、普通のおじさまになってきた。
かく言う私だって、このザマであるが。


今日は歯のクリーニング(歯石取り)だけで終わる。
このクリーニングは歯科技師?さんの仕事だ。

「お痛みが出ましたら、左手を上げて下さい」
とは言われているが、この左手は過去に一度も上げたことはない。
このくらいの痛みで音を上げたくないと思っているので、耐えている。
本当は最初から最後までずっと痛い。

ま、それがバレているのか。
「力を抜いて下さい」
と何度も愛らしい声で優しく諭される。
相当に顎に力が入ってしまっているのだろう。

しかしこんな麗しき女性(大きいマスクをしているのでお顔全体は見たことがないので想像だけ)が、
二人がかかりで、しかも付きっきりでお世話をしてもらえる贅沢は、
こんな機会しかないので、絶対に左手だけは上げられない。
自分でもアゴだけでなく、左手が胸の上で硬く固まっているのが分かる。

心配したお姉様が声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「お痛みないですか?」
「ぜんぜん痛くないです」
と答える僕。

なので、
「お口をゆすいで下さい」と言われるインターミッションでは、
必ずため息が漏れてしまいそうで、これもいつも我慢する。


終了までの約40分間は、
昨日の大腸カメラのように記憶から消え去っている時間ではなく、
記憶に焼印されているような時間だった。
だからこそ、麗しき女性像でなくてはいけないのだろう。


次回は、先生から歯の治療を受ける。
一年経つと必ず悪い箇所が出来ているので、そこをなんとかするのだ。
僕の場合、特に奥歯が相当に傷んでいて、
その為にマウスピースも作って持っているが、これを付けて寝ることが出来ない。
先生からは寝る時に付けて寝るように指導されているが‥‥‥。

今までに何度も挑戦しては挫折している。
寝る時は付けて寝ても、朝起きたら知らないうちに外しているのだ。
外すだけならいい。どこに行ったのかわからなくなり、その為に二度もマウスピースを作った。
それで作った後に前のが発見されて、今では手元に二個もあるという訳だ。


去年の伊豆大太鼓合宿参加者で風呂に入る時、マウスピースを外している人がいて、
普段でもこの人は付けているのかと驚いたことがある。
僕が職業をまだ尋ねていなかったのに、この方は先に答えてくれて、歯科医師さんだった。

なるほど普段から付けていると馴染むのかもしれない。
寝る時だけ付けると、その違和感で、
頭では頑張ろうと思っていても生理的に体が拒否してしまう。

ちょっと試してみようかと、思い出した。

 

 

 

 

 

見本/2018年1月23日号



TMM2020 No.1598 2018/1/23(火)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

予想した朝を迎えた。

積雪は25センチほどか‥‥。
天気は良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://youtu.be/GMU7yA96fPc

 

そして、午前中はほぼ雪かき。

久しぶりの雪かきなので、腰に来る。
腕の変なところが痛い。
家の前の道路と、駐車場の前の道路と、駐車場の中と‥‥‥。

向かいのマンションのオーナーがミニブルトーザーで道路の雪をかき集めてもくれたので、助かる。

その後、少しラウムを出して周辺を走ってみた。

何台も動けなくなっている車が、道端に放置されていたが、
道路はだいたい走れる状態にはなっている。

 

 

それでも今夜の屋台囃子講座は中止にした。

このまま今夜は都心に入るのは危険だと思ったからだ。

明日はどうしてもトラックで行かなくてはいけない弾!打から団稽古。
たぶん大丈夫だろうと思うけれど。。。

今週に限って金曜日にも、どうしてもトラックで行かなくてはいけない越谷でのWSがある。
冬は仕方がないが、お天道様に祈るばかり。

 

 

 

 

 

 

 

見本/2018年1月1日号



TMM2020 No.1576 2018/1/1(月)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

新年、明けましておめでとうございます。

 

今年はここ、
四国八十八ヶ寺第一番・霊山寺に初詣に行く。
鳴門海峡の大鳴門橋を渡って近い。
淡路の実家から車で1時間の距離。

この寺の名前がなかなか覚えられない。

正しく読めれば、それだけでお遍路さん合格である。
「りょうぜんじ」とは、とても読めないからだ。

 

 

日が昇ってから朝一番に行く。

 

 

 

 

大きい寺ではないが趣があって、
さあここから始まるんだなと、ここに来ると気持ちが引き締まる。

至る所に「発心(ほっしん)」の文字がある。
思い立つこと。心を起こすこと。

新年の始まりにふさわしい。

 

何度も訪れている寺だが、いつだって、始まりだ。

また一度、歩き遍路で巡りたい。

 

 

 

 

 

淡路島に戻って、「おのころ島神社」にも来てみた。
12月に放送されたNHK-BS『新日本風土記』に紹介されていたので気になっていた。

小さな神社だが、ここも気持ちがいい。

 

 


 

 

 

八百万の神様も祀っている。

日本発祥、国生みの聖地と謳っているが、いかにも創られた感がある。
しかし偉ぶってもいない。
そこがいい。

 

 

 

 

 

 

 

見本/2017年6月11日号



TMM2020 No.1372 2017/6/11(日)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

足のマメというのは、いつまで新しいものが増えつづけるのだろう。
歩き始めて22日、今日もまた新参モノが一つ出て、合わせて十個となった。


今から12年前の5月、淡路島洲本市にあるお寺・千福寺からYご夫婦が太鼓アイランド淡路講座に参加された。
Yさんご夫婦はご住職とその奥様だ。
秋にはお子様四人も全員太鼓アイランドに参加した。どうも強制参加のように見えた。

Yさんに事情を聞くと「お寺を、太鼓寺にしたいんです」という。
でもどうしたら良いのか分らない。
なのでまず自分がやり、また家族をも参加させたのだ。
どうして太鼓寺にしたかったのか、その理由は聞いたと思うが忘れた。

僕は相談を受け、お寺で太鼓チームを作る方法を一緒に考えることとなる。
練習場所はお寺、太鼓はまず有りものをかき集めて、人は檀家さんから募り稽古がスタートする。
僕は最初は二ヶ月か三ヶ月に一度、指導に訪れたように思う。

ちょうどそんな時、僕は二年後に迫った30周年記念で何かできないかと考えていた時でもあった。
雑談をしていたある時、ふと、

 

淡路島を歩いて、夜にお寺で太鼓を叩かせてもらって、一回りするようなことができれば良いなと口から出た。


その時、Yさんは、すかさず

「それ、おもしろいですね、やりましょか」

と嬉しそうに言い、
直ぐさま走り去ったかと思えば、畳何畳分かもあるような巨大な地図を持ってすぐに現れた。

Yさんはボーイスカウトの活動もされている。

「これ前にスカウトで作ったんですが、この地図を見て考えましょか‥‥‥」

「センセ一日何キロくらい歩きますか? ほんなら、一日目はここで、二日目はここで‥‥‥」
と話が速い。
あれよあれよと話している間に、その夜、大方の計画が決まる。


「ほんなら後は私があんじょうしときますわ」
と一番厄介なお寺との交渉などすべてYさんがやってくれることになり、
それで出来上がったのが、これ。

歩いて八日間で八ヵ寺を巡る、
『ありがとう淡路島!寺院と感動 歩き太鼓之旅公演』だ。
http://www.tomida-net.com/30kikaku070701.html
この時に、お寺の太鼓チーム『瑠璃光太鼓』もデビューした。


デビューの後、僕はこのチーム指導から離れ、地元のIさんが指導者となる。

それから四年が経った時、どうもYさんの具合が悪いと耳に入ってきたかと思えば、逝ってしまった。
またしても速い。
僕より一つ上の55歳だった。
和尚さんの得意技とはいえ、ここまで早くすることはなかったのに‥‥‥

 

今思い出しても、あの時の和尚さんの一言。
「それ、おもしろいですね、やりましょか」

この言葉からすべてが始まっている。

僕は淡路島を歩いて太鼓を叩いて廻った翌年、四国八十八ヵ寺周りの歩き遍路に出る。
お遍路はその後、足掛け八年掛かって去年春に結願。
そして、今年のこの『浜から島へ〜』に繋がっている。

和尚さんのあの時の一言がなければ、すべてなかったのかもしれないし、
いや、なければならない言葉だったのだと思う。
すべて導かれてきたように思うのだ。

僕の歓暦歩き打ち旅の最後は、和尚さんが眠るここ千福寺でなければならないと思っていた。

 

 

今日の出発は朝6時20分になった。

旅の間寝るのが早かったので、起きるのも二時か三時でそれから日記を書いて出発する毎日だった。


朝、雨が上がったあとのような空。

涼しくて気持ち良く、またなによりも背中のリュックがなかったので、ものすごく快調だ。
体が軽い。
一晩で10キロ近く体重が減ったら、こんな感覚だろうかと思いながら‥‥。


そんな訳でとても軽やかに歩き、志筑から洲本までの歩き慣れた道は楽しかった。

 

 

 

 

予定通り午前9時に洲本市千福寺に到着する。

 

僕の到着の前から太鼓を叩いて迎えて下さり、
ガールスカウトの皆さん、瑠璃光太鼓の皆さん、地元太鼓チームの皆さん、お寺関係の皆さんなど
大勢が温かい拍手で迎えて下さった。


僕も到着の太鼓を叩く。
今朝は、和尚さんが倒れた後、急遽ご住職になられお寺を継いだ奥様の般若心経と共に最後の太鼓演奏を終える。


終わって本当はここでY和尚さんへの感謝の言葉を言わなければならないが、
僕は喋ると感情が先に出てしまい(泣けてしまって)喋られなくなってしまう癖があり、
あえて和尚さんのことは触れなかったが、感謝の気持ちで一杯だった。

 

皆さんと記念写真を撮る。

 

 

本堂で僕も般若心経を唱え、お線香を焚き、Y和尚に到着のご報告をした。

 

Yさん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

それで、ここで終わりではなく、次に番外ゴール。


南あわじ市福良の『しまこや珈琲』へ向かう。が、
その前に一週間後の『打ち上げコンサート』打ち合わせを、千福寺さんで一時間ほど済ませて出発。

洲本千福寺から福良のしまこやまで、約22km。

 

いつものように休み休み、空は時折晴れて暑くなり、また雲って涼しくなり、でも雨は降らない。


やっと午後4時20分、海が見えるしまこやさんに到着。

 

ここは太鼓打ち窪田美香さんが結婚して、ご主人と二人で開く珈琲豆屋さんがある。
http://roastersk.exblog.jp/

一年遅れだが、結婚のお祝いとお店のお祝いを伝えたくて、ここまで歩いた。


 

 

 

 

 

ここから、志筑までの帰りは歩きでなく、Iさんの車で送って頂きました。
Iさん、ありがとうございました。

 

 

歩行時間10時間、36km。


打ち終えて 旅は終わるが 終わらない 次の旅への はじまりだ

 

 

 

 

 

 

 

 

見本/2017年3月30日号



TMM2020 No.1299 2017/3/30(木)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

今日はずっと青空だった。

 

先週金曜日の朝九時に横浜の自宅を出発して七日、220キロの歩き打ちの旅が終わった。

福島県いわき市小名浜は、大きな街だった。

 

決して小さな名前の浜などというイメージではなく、大規模工場が建ち並び、立派な道路が縦横に走り、なにやら巨大な建物がいくつも建設中だ。
しかし、空は広い!

 

そして今夜から二泊するホテルが、隣はお城の形のソープランド。
斜め向かいも裏も………、色街のど真ん中に立っている。
僕が好んで選んだのではなく、Aさんの家から一番近いホテルにしたらこうなった。

 

 

今朝は高荻市内のホテルで朝食を食べて七時に出発。

昨日までは大丈夫だと思っていた腰が、今日はくしゃみをする度にも響いて痛む。
花粉症で鼻水とくしゃみばかりしながら歩いている。
腰が急に痛くなって来たのは、疲れの限界か、今日で終わるという気の緩みか、その両方だろう。

 

疾走する大型トラック群に吹き飛ばされないよう注意しながら、太い国道6号沿いを黙々と歩く。

疲れると休んではストレッチ。
これはずっと七日間変わらない繰り返し。


ただ今日は5月に出発する歩き旅について考えていた。
例えば6日歩いて1日休み、それを三セットと少し。
1日の歩く距離も無理のない長さにして、全日程を決めてしまおうかと………。

全24日がいいかなと、あれこれ考える時間はいくらでもあった。
今日は九時間、35キロの道中に。。。夕方4時前に無事到着。

 

 

 

夜、Aさんと飲みに行く。
旨い魚と酒!

酔っ払っては星の輝く空の下を街歩き。


 

 

※このイラストは、名古屋の遊鼓さんが送って下さったもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

見本/2017年1月28日号



TMM2020 No.1238 2017/1/28(土)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

今日は旧暦元旦なので、中華街に行ってみた。

 

 

 

家から歩いて四時間はかからない、良いお天気でとても歩きやすかった。

せっかく来たのでいつものお気に入り、おかゆの店に行ってみたら、
行列ができていた。

謝甜記 貮号店 (シャテンキ)


 

 

並ぶのが嫌ではなく、じっとしていると汗をかいているので寒くなるのが嫌で並ぶのは止めた。

それで別の店で昼は食べたが、‥‥‥それなりの味だった。

中華街には行列が出来ている店と、呼び込みを盛んにやっている店、
呼び込みはないが行列もない店等、色々ある。

やはり土曜日の春節に行列もない店は、それなりの店ということだ。
大変にわかりやすいが、ついそんな店に入ってしまうのが、
観光客である。

元旦昼の中華街は、行事(獅子舞など)がないので面白味がない。

人だけが多かった。

 

 

二ヶ所ある寺(廟)も人が多くて、入場すら出来なかった。

また人が少なくなった時に来よう。

 

 

 

 

 

 

見本/2017年1月1日号



TMM2020 No.1211 2017/1/1(日)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

朝2時半起床、3時半出発。

先山千光寺に向かう。


風もなく静かな闇。

ずっとほぼ山の中の道、さらに最後の3kmは完全な山。
車もほとんど通らない。
星明かりだけだと暗いので、スマホの簡易ライトをずっと付けて歩いた。

山道を登っていると、7時前になって少し車も上がって来た。
先山に到着して、先にお参り。

 

先山は淡路島のほぼ中央に位置する標高448m、愛称・淡路富士。
千光寺は、高野山真言宗の別格本山。

父が生前、毎月一日に連続23年間お参りをしていた寺。
http://ameblo.jp/utigumi/entry-11845004837.html

 

 

 

それでもご来光を待つ人々は多くない。

千光寺山頂では角度の関係からご来光は仰げないということが判り、
参道を下りる。

人しか通れない参道の八丁と九丁の間にポイントがあると聞き、
そこまで下りた。

 

そのポイントまで下りる間に陽が出た。

 

 

そこで暫く眺め、山を下りた。

 

家に帰った時には、10時を過ぎていた。

その後、風呂に入って、11時半、朝ご飯?

 

新年の挨拶をして、
弟も一緒に四人で食べた。

こんなことは元旦だけだろうビールを頂く。
昼のビールは旨い。

雑煮などを食べて、そのまま夕食までなんだかんだと食べては飲み。

 

夕食は鍋。

また飲んで、そのままグダグダ。
朝早くから起きている僕は、早々に床に付いた。

 

 

 

 

 

見本/2016年12月11日号



TMM2020 No.1190 2016/12/11(日)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

今日も良いお天気だ。

朝から目黒の『桶秋刀魚』に行って、帰って来るともう午後。

少し寝てから、事務所の片付け。

 

懐かしい写真、第二弾。

1985年12月24日、和歌山市
『渕田寛一 路上書きなぐりチャリティ』応援。
確か、近鉄百貨店前にて。

31年前だから、28歳。

 

渕田寛一さんは、鬼太鼓座から鼓童になる時、多大な支援を頂いた方で
僕たちも「渕田のお父さん」と呼んでいた。

 

 

 

 

老舗料亭の経営者だが、川柳作家であり、書家、そして自然保護運動、社会福祉施設の支援など、
終生、文化活動で多くの人々を支え続けた人だ。
この路上チャリティも、募金活動の一環。

大の酒好きでもあり、
「朝は(ビール)小瓶一本がちょうどいいの」
と言っていたのが、今でも耳に残る。

 

提灯「鼓童」の文字も、渕田さんの字だ。

 


 

 

 

見本/2015年9月19日号



TMM2020 No.741 2015/9/19(土)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

昨夜の興奮から一夜明け、やっと空は晴れた。

ずっと雨だったからな〜。

午後、今日はあの国会前がどうなっているのかと気になって、
また行ってみる事にした。

空はまだ明るい午後2時半に自宅は出発したけれど、国会前に到着したのは、
日も暮れた午後7時半。5時間かかった。

いつもこのくらいのペースだが、久しぶりの長距離だったので、少々足が疲れた。

今日の議事堂前はガランとしている。
警官の姿もほとんどない。

国会正門の前にも行く事ができる。

歩道のほんの一角だけで、集会のように声を上げている人たちがいたので、
僕もそこに行ってみた。

 

 

え〜、途中からいらっしゃった方もいるので、少しまた話をすると、
今日私はこのマイクとスピーカーを持って来ました◎◎と言います。

さっき警官の方からも、あなたが主催者ですか?と尋ねられましたが、私は
このマイクとスピーカーを持ってきただけです。
ここにいるすべての皆さんお一人一人が主催者ということでいいでしょうか?
ありがとうございます。

今日はシールズとか大きな団体の方はいらっしゃっていません。あの皆さんは今朝5時まで
ここで声を上げていたそうです。
私はどこの団体にも所属していません。一人で来ました。
今日はここに集まっている皆さん一人一人の声を聞きたいと思います。
それでいいですね?

 


皆さん、こんばんは。
先ほど札幌から来ている人がいて驚きましたが、私も昨日札幌から来ました◎◎です。
高校の教員をしています。

昨日あんな戦争法案が通ってしまって、
連休明け学校に帰って生徒たちになんて話をすればいいんでしょうか?
判りません。
政府が憲法を守らなくて、私たちは何を守るのでしょうか?

私には五人の子供がいます。
札幌でもこういう活動をしていまして、子供たちも連れて行きます。
三歳の子供は、朝起きた時に、『戦争法案、反対』『憲法、守れ』と叫びます。
嬉しいような、ちょっと複雑です。

高校で進路指導もしているんですが、近くに自衛隊の基地もあるので、自衛隊に入ると言う生徒もいます。
自衛隊の皆さんには災害が起きた時、本当に感謝しています。
でも災害救助隊と集団的自衛権の武力行使に出かける自衛隊は別物です。
生徒にもそういうんですが、

先生ね、うちの親も自衛隊です。でも親は反対しているんです。
絶対に入るなって、
今度は戦場に行くかもしれないぞって、
でも先生、自衛隊に入ると、学校にも行けるんです。
うちは兄弟も多いんで弟たちの為にも自衛隊に行きたいんです。

僕には行くなと言えません。言えませんが、行ってほしくないんです。

この前、8月に盆踊りが地元であって、その時に(北海道)道議がやって来て
突然櫓の上に上がって叫ぶんです。

皆さん、おめでとうございます。自民党の◎◎ですって。

おかしくないですか?おめでとうございますって、盆踊りですよ?
しばらく叫んだ後、下におりて来たので
僕は聞いたんです。安保法案について。

そしたら、自民党のホームページに書いてあるそのままの事を喋るんです。
だからもうちょっと質問していたら、ムッとされました。
それでも質問を続けると、僕の前にSPがさっと来るんですよ。

僕は一歳の子供を両手で抱っこしているんですよ、この僕が何か危害を加えるとでも思ったんでしょうか?
それでもあまり長い時間質問するのもよくないかなと思って、
今日はお時間を取って頂いてありがとうございました。って言ったんです。
そしたら、
いえ、いいんですけどね、こういう話はお子さんの前でするのはどうかと私は思うんですよ、と。
僕はまた腹が立ってしまいました。

子供の前でできないような話を国会で決めているのか、って。
この子たちに聞かせられないような事を、ここで決めているのか、って。

昨日ここに来て、最終電車で筑波に帰ったんですが、電車に乗っている時も
このプラカード(「9条守れ」)を胸にこう持って座っていて、寝てたんです。疲れて。
そしたら、体を急に揺さぶられて起こされたんです。
パッと目が覚めて、前を見ると、
こんなに大っきな人で、顔が真っ赤になった人が立ってるです。
僕は、これは怒られるのかな、嫌だな恐いなと思っていたら、その人が
僕も同感ですって、僕に握手して来たんです。
それが、すごい力だったんです。
東京に来て良かったと思いました。

 


八王子から来ました、◎◎と言います。

僕は全盲です。目が見えません。
ここには他に障害を持った方や、車イスで来ている人がいると思います(いるよ!と声)。
何かあった時、真っ先に放り出されるのは私たちだと思います。

今日は弟に連れて来てもらいました。
弟は、こんな集会に来るのは初めてなんです。

月曜日にも来ました。月曜日は兄に連れて来てもらいました。
兄も初めて参加した一人です。

みなさん、私たちの力だけではだめです。
もう一人、もう二人、
ここに一緒に行こうって、誘って下さい。
もっと声を掛けましょう。掛けて下さい。

それから最後にお願いです。
私はパソコンを見たことがありません。インターネットも使えません。
ですから使える方にお願いです。
「賛成議員を落選させる、一般市民の会」
というのを立ち上げて下さい。そこで私の替わりに呼びかけて下さい。
お願いします。

 


山口県から来ました、◎◎と言います。

私は創価学会に入っていました。35年間。
でもこの戦争法案を公明党が賛成して、私は学会を止めました。
妻は公明党の党員でした。
が、妻も止めました。
聖教新聞も止めました。
「一人一人を大事にする」そう言ってずっと活動して来たのに、この法案は何ですか?
おかしいではありませんか?
でも私は、山口では変人扱いです。安倍さんは総理で絶対権力者です。
すごい人気です。

私の地元で学会のグループでも400人くらいいて、その中で二人しか反対しなかったんです。
だから変人です。
この二人が私と妻です。
でも私は今日、ここに来て、私は変人でないと判りました。
こんなにたくさんの人が、私と同じ考えの人がこんなにたくさんいることが判りました。
ありがとうございました。


 

どんどん、こんな話が続いていく。

が、
僕の5時間歩いて来た足は限界になった。
止まって立っていることが辛いのだ。

それで、話はもっと聞きたかったが、議事堂前を後にした。

昨晩は何万人という人が怒濤のように渦巻く声の中で叫んでいたが、今晩は静かだ。
人はとっても少なかったけれど、話はゆっくりと聞けた。

僕はこんな話を聞きたくて、ここに来たんだろうと思った。

また時間があれば、ここに来たいと思う。

 

歩き5時間 28km 体重71.3kg

 

声上がる 一人一人の 思い溢れ 小さな声が 大きく響く 

 

 

 

 

 

見本/2015年6月14日号



TMM2020 No.644 2015/6/14(日)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

まだ今日も体が動こうとしない。

今日一日、休むことにした。

今回の公演は、これまでとまったく違う感触があった。

一人だけで叩く公演は、これまでにもしてきたけれど、

大太鼓だけを一人で叩き続ける一時間、これは初めて。
それだけの公演ということが良かったのだろう。

つまり‥‥‥、大太鼓だ。

大太鼓の本当の素晴らしさを良さを発揮する、皆さんに見てもらって、感じてもらえることが出来る公演だったのが、
良かったのだと思う。

もっともっと太鼓の響きを感じて欲しい。

一つだけ残念に思うのは、

あの会場ホールの客席で聴く大太鼓の音は、ティアラこうとうの半分くらいの音だったことだ‥‥‥。

でも僕がこの企画を決断した時、やっと、唯一空いていたのが、この日のあのホールだった。

それだけで感謝しなくては、いけない。

八年前、今の大太鼓を買って、東京で最初にお披露目をした会場もここだった。

やはり、この場所で出来た事が、ホール音響がどうのこうのというよりも、

最初にやるべき場所には意味があったことなんだろう。

今、この文を書き並べながら、そう思えて来た。

だから、残念などではなかったのだ。

言葉を変えなくては。。。


ありがとう、大田文化の森ホールさん。

あなたのお陰で、最後まで叩き抜くことができました。

 

来年の夏企画は、ラストトーク齊富が決まっているけれど、

来年の冬12月は、ティアラこうとうで一本打ちを、やりたいと今思った。

ずいぶんと先の話になってしまったけれど、

それまでにも、

叩ける場所があって、聞きたいという人がいれば、ぜひまたやりたい。

どんな場所ででも、どんどんやりたい。

でもそれには、そんな場所と人に、出会う必要がある。

その時が、きっと来る。

その日が訪れる、その時を待つ事にする

 

 

きなし 体重不明

 

ここにいる ここにあるんだ こころたび ここがわたしの ここちよいばしょ 

 

 

 

 

 

見本/2015年5月30日号



TMM2020 No.629 2015/5/30(土)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

日本橋から鎌倉まで十三里と言われた江戸時代。
これを成人男子は、一日で歩いたらしい。

僕の自宅から北鎌倉の東慶寺までは七里半だ。一里は約4km。
僕もこれを半日かけて歩いた。

井上ひさし著『東慶寺 花だより』の最終章・薮椿の章「おゆう」は、ここ東慶寺で読もうと思っていた。

 

 

 

 

作品のイメージに加えて映画『駆込み女と駆け出し男』のイメージがあったので、
実際の東慶寺に足を踏み入れた時、やや小振りの感があった。

現在はどこもかしこも住宅が迫って、やたらとカフェが多い北鎌倉だ。

山寺の雰囲気は、想像の世界を膨らませなければ見えて来ない。

JRの線路が門前を堂々と走っている向かいの円覚寺、
小説にある、御用宿柏屋さんなどもどこにあったのか、その姿は捜せない。

特に東慶寺の門が質素に見えた。

長い階段の後にそびえる大門のイメージではなかった。
映画の撮影は、主に京都で行われたらしい。

多くの駆込み女性が暮らしたお堂も今は見えない。
明治になって尼寺が廃寺になった為に、様変わりは激しいようだった。
だが今は観光客で賑わっている。

とりわけ女性の姿が多いように見えた。

これは映画の影響ではなく、以前からこうらしい。

静かな佇まいの寺が好まれるのだろう。

寺の境内で腰を下ろせる場所がない。
探してやっと、「ヤニに注意」と張り紙があった樹木の切り株に座った。

東慶寺の中にはたくさんの四季折々楽しめる草花が植えられていて、
その花が咲くことに寄って、季節を伝えてくれた。
井上ひさしさんが「花だより」と付けた所以だ。
http://tokeiji87.exblog.jp/24150941/

切り株の上にのった尻は少しひんやりとしていた。

 


※東慶寺岩崖に咲くイワタバコ

 

陽射しは強く気温も上がった今日だが、北鎌倉の木蔭は涼しく、風はまだ五月の其れだった。
汗を手ぬぐいで拭って、「おゆう」を読む。

多くの駆込み女性を救った東慶寺は今、時代を伝えてきた草木花苔に包まれ、
多くの観光客を迎え入れていた。

 

 

歩き6時間半 36km 体重71.9kg

 

横に揺れ そんな酔ったか 様子見て まだまだ来るぞ 地震列島

 

 

 

 

見本/2014年7月6日号



TMM2020 No.301 2014/7/6(日)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

昨日は深夜2時に部屋に帰って寝たのに、一旦は6時に起きた。

今日は何もすることがない。

僕がロンドンに帰るのに乗せてもらう車のドライバーが、ここで夕方の四時まで
太鼓ワークショップを受けているからだ。

来年、もし僕がここにくることが出来たなら、たぶん出演とワークショップを持つ事になると思うけれど、
今はまだ判らない。

午前中に会場近くを散歩して、それも飽きたのでホテルのレセプションで座ってこれを書いていたら、
けっこうここでも色んな人が話しかけてきて、忙しい。
昼までの時間はすぐに過ぎた。

お昼はいつものみんなとご飯を食べていると、庭に太鼓をたくさん並べ出した。

そこで何かが始まるんだとは判ったけれど、

「富田さん、太鼓を叩いて下さい」
と突然に言われる。
こちらでは、とってもフランク。

僕はサラダを口にしながら、
「いつですか?」
「今です」
「はい、了解しました!」
と、口をもぐもぐさせながら答えた。

今日の天気は基本的に晴れなんだけれど、それでも時々雨も降る。
だから僕は、その時もピンクのカッパ上下を着ていた。
衣裳に着替える時間もないし、上だけ脱いで打一好祭Tシャツにした。

そこで話を聞いて驚いた、みんなで叩くことになっていたのだ。

僕は真ん中に置かれた大太鼓のソロを短く。

 

 

最初に曲の説明があって、本番が始まる。

100人以上200人以下だと思うが、何人くらいか判らない。
それでアッという間にみんなでの演奏が終わり、とても楽しかった。
また適当に笛も吹いた。

またしても太鼓を叩く時だけ、ものすごいサンシャインだ。

終わって、それがお城のような建物の上からカメラで撮影されていたことを知らされる。
後でユーチューブにアップされるらしい。
そんなことも今、知った。

計画をしていたんなら、一言先に教えてくれてもいいのにとも思うが、
連絡するのが面倒だったんだろう。
それとも今、突然に決めたのか?
ラフなスケッチだけで動いている感じだ。
細かい打ち合わせなどはしていなくて、急に、その場で何かが動く。
こういうライブ感も、好きだ。

これが昼休みの時間。

 

 

 

 

 

 

 

午後は、四時まで冬冬と話したり、フランスから来ているWatanabe太鼓のピーターと話す。
この渡辺太鼓は、弘前の太鼓店とはまったく関係なくて、奥さんの名字が渡辺だから。
以前豊橋に住んでいたピーターが、フランスに帰って来て突然太鼓を作りたくなって始めたという。

今までに六台の太鼓を作った。
今回はレンタカーを借りてその太鼓を乗せ、1500キロ、走ってここまでやって来た。
これを仕事にする気があるのかないのか、売れなくても、なにも気にしていない。
たぶん、一台も売れていない。

もちろん日本製の太鼓は、ここではとても高い。
いまヨーロッパでの太鼓は、ドイツ製がやはりいい。
ここにもその太鼓屋さんは、やって来ていた。
かなり質も高い。

午後四時半出発。
また来た時と同じ車に乗せてもらって、ロンドン近くまで送ってもらい。
そこから列車と地下鉄と歩きで、冬冬の家まで戻る。

午後10時到着。
帰りは5時間半だったから、早く着いた。
もう10時を過ぎたけれど、ちょうど陽が暮れる空だからそんなに遅い時間には思えない。
でも夕暮れ時は、ちょっとさびしい。

冬冬は先に列車で家に帰って来ていて、ポーさんは僕の後に帰ってきた。
冬冬の父さん母さんは、ポルトガルにバカンスに行っているので不在。

今日は三人で、それからご飯を食べた。

 

 

歩き1時間、体重不明。

 

ロンドンに 帰って一息 もうすぐに 帰国がせまる 夏の一日

 

 

 

 

 

見本/2014年4月11日号



TMM2020 No.215 2014/4/11(金)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

朝5時半に携帯のベルが鳴った。

それから準備、それでも色々とあって、9時半に横浜の自宅を出発した。

上さんと二人で車で向かう。
こんな明るい時間帯を走ったことはなかった。
いつもは、早朝に出発するか、夜中に到着するかのコースだし。
東名、名神、全部昼間は、たしかに走りやすい。

午後5時半過ぎ、淡路島着。
銀行など色々と立ち寄ってから安置されている式場に着いた。


最初に顔を見た。
きれいな顔をしていた。

頭と体を触ってみた。
冷たかった。

これまで世話になっていた人たちと話をした。
もう母親もかなり疲労困憊なので、これでやっと落ち着けるだろうか‥‥。

午後7時半、みんな帰る。
今夜は僕が一人、親父に付き添うことにした。

母も、弟も親戚の人も、これまでの付き添いで疲れているので、ここでやっと僕の出番。
役に立ててよかった。

 

二人になって、親父に話した。

感謝の言葉しかない。
ありがとう、ありがとうと何度も言った。

今夜はここで飲むしかない。黒霧島を買ってきた。

でも酔っぱらう前にしておきたかったのは、般若心経と太鼓。

静かに叩いて唱えることとなった。

 

叩いていると調子にのってきたが、ま、押さえて押さえて‥‥‥。

「この辺でそんなことをするモンはおらんさかいに、ちょっとだけにしときよ」
と母に釘を刺されていたからだ。

でも今夜は貸し切りだしな‥‥。他に誰もいないから。

 

都会ではこんなことはないだろう。

この式場(セレモニーホール)のスタッフも宿直もいない。

大きい建物で、父と二人っきり。
笛も持ってきたらよかったな。

浅野の尺五寸宮は小さい太鼓だけれど、枕元に置くと、存在感はある。

 

ひとしきり叩いて、食事。
近くのスーパーで買ってきたものを食べる。

一人で飲んでいたけれど、こういう時って酔えないもんだね。

歩きなし、体重不明。


何すんで 二人きりでも どないしよ 芋は飲んだし 布団は敷いた


※父のことは他にはお知らせしておりません。故人の遺志により、
家族葬のみで、香典お花お供えもすべてお断りしております。
この日記をご覧になられましても、お気遣いなきようお願い致します。

 

 

 

 

 

見本/2013年9月9日号



TMM2020 No.1 2013/9/9(月)
一部、或は全文の転載お断りします/Tomida Kazuaki© 
------------------------------------------------------------------------

今日からMail日記を付けることにした。

鼓童時代に始めた日記は長く続いていたけれど、当時は毎日が波瀾万丈でいくらでも書くことがあった。
今は、当時に比べると自分の日常は、平々凡々だ。
毎日、何か起こることも、ほとんどない。
年も取ったし還暦が近づいている。仕事も減った。
震災原発事故があって、一年先の見通しを立てる気にさえならない気分がある。
希望の太鼓を叩かなくてはいけないのに、本人がどうしたことか。

迷っている時ではないことは判るのだけれど、体が動かないのでジタバタを繰り返している。

何をしたらいいのか判らない、今自分にでもできることを始めたいと思った。

HPにブログもfbもやっているけれど、それは一般公開なので、すべての人が目にする前提で書いている。
もっと生々しく書きたい。
この日記は‥‥‥‥‥これもしかし、もちろんすべては書けない。本当のことを書くと大変なことになる。
けれど、限定公開ということで、一歩自分の内面に踏み込めるかなと思う。

そんな訳で、愚痴は書かないようにして、ボチボチ始めます。


今日も太鼓は叩いていない。
来月にある学校公演の打ち合わせを一件済ませただけ。その後、チラシを作ったり、縁側の虫食い修理など。
この縁側の問題は、けっこう大変。
シロアリなのかなと思うけれど、その姿は見えない。捜せなかった。

縁側の床は表向きの腐った場所を取り除いたけれど、床の木を切ってみると、
そこからかなりの奥にも被害は広がっていそうで‥‥しかし、それは見なかったことにして、
防腐溶液を塗って、新しい木材を入れ、床を部分的に補修をした。
根本的な解決にはなっていないけれど、暫くは持つと思う。その暫くはいつまでか判らない。
こう書くと、東電と同じだな。

歩きなし。体重77.4キロ。

寝てもまだ 君を思いし 五輪コリン 桃栗三年 我記七年

 

 

 

 

愛しき五星ビール     愛しき五星ビール
万里の未知も一打から1982〜1985 万里の未知も一打から2 1985/9〜1987/7

 

愛しき五星ビール    豆満江に流る     太鼓打ち誕生
北京留学日記1988/9〜1990/6  延吉下宿日記1991/9〜1992/6  太鼓打ち誕生1995/1〜

 


電網・打組、富田へのご意見、ご感想、ご質問は、

Eメール utigumi@tomida-net.com まで

 

メニューに戻る