月刊・打組 2014年 9月号 No.131(9月20日 発行)


 

太鼓打ち富田和明が歩く

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2014夏

土佐國〜伊予國之巻壱 打ち始めに一言

 

 

夏にまた、時間があった。

春や秋は、時間を空けてあっても、結局何か予定が入ってしまうが、

夏のこの時期は空いたままだ。

それなら、ここで来なさいよと呼ばれているようなものではないか?

 


二年続けて、お盆のこの時期に歩くことになった。

去年の夏は、猛暑だったけれど、今年の夏は

台風の後だった。


暑さはない。

それでは何があるのか?

何が僕を待ってくれているのか?



四度目の区切り打ちの旅を始めることにした。



夏は待つ 人も動物も山も川も海も 空の星たちでさえ この時に出逢える 喜びを胸に

 

 


第一日目(通算18日目) 8月11日(月)

 

前日から心配していた台風11号は去った。

島の空は快晴だった。

 

これで遍路に出かけられる。

朝六時三十五分 淡路島津名港発、徳島行きバスに乗る。

こんなバスがあったんだ。

 

 

 

一日二本しかないバスだけど、これがあって助かった。

 

 

徳島からはJRで高知県四万十市中村まで行く予定が、

阿波池田から高知が浸水の為不通になっていて、

その区間だけがバスで振替運行になっていた。


そして、高知から中村まではまたJRで二輛編成の鈍行列車で向かう。

JR徳島駅構内に立って列車を待っていたら、

おばさんがやって来て100円玉を一つ僕の掌に握らせた。


「私もお参りしているのよ」と、

今回の旅での初接待を受ける。


ありがたい。

 

お盆なので人が多い。中村行きの鈍行列車がほぼ満杯に近く、驚いた。

 

 

 

 

 

予定では、午後1時半に中村駅に到着するはずだったが、

台風の影響で、着いたのは午後3時15分。


それからスタート!

 

 

 

 

でもまだ昼飯も食べていなかったので、まずはコンビニに入って腹ごしらえ。

弁当を食べて、

他に水とカロリーメイト、バナナなどを買う。


今回のリュックはシュラフも入れて約6キロ。

そうとうに荷物を減らし軽くしたつもりだけれど、

水と食べ物を入れると8キロ以上にはなっているだろう。

 

トイレもしっかり入って、さあ出発!

天気はくもり。

時々少しだけ晴れ間が見えた。

 

 

 


歩き出して30分ほどか過ぎて、気が付いた。

杖を持っていないことに。


さっきのコンビニに忘れたようだ。


すでにお遍路に出て三本目の杖である。

 

これはもうなくしてはいけないと、前々回の旅中に、

杖に般若心経を写経してコーティングまでしてあった。

それを忘れて置いて来た。

 

歩き始めの一日目は気をつけなくてはいけないと、あれほど注意していたのに、

のっけからやってしまった。

 

ガッカリだが、来た道を戻る気にはなれず。

ここで杖に別れを告げた。

御免よ。ここまでありがとうな。

一年間僕のトラックの助手席上に飾ってあったから。

いつも一緒だったのに、お遍路に出てお早いお別れ。

 

天気はそんなに暑くもない。雨の心配も今日はなさそうだ。

 

 

 

 

コンビニを出てから歩くこと約四時間。

四万十市と土佐清水市の境にある新伊豆田トンネルを抜けると、

ドライブイン水車が見えてくるはずだった。

 

しかしこのトンネルが長い。1620メートルだと。

僕はトンネルに入るとだいたい適当な(いいかげんな)歌をうたって、声を出している。

 

音が響くので気持ちがいいし、

風景が変わらないから黙って歩くのは気が滅入る。

 

やっと出口に来た。

すぐ先にドライブインがあるはずだ。

ここで今夜は生ビールと夕食にありつけると思っていたら‥‥‥

 

この店が潰れていた。

山の中で人の気配がまったくない。

なんということだ。

 

でもこの閉鎖されたドライブインのすぐ近くに、トイレ付きの休憩所があった。

自動販売機もあった。

午後7時半、陽も暮れて来ていた。


ここから先の町までは、まだ5キロある。

 

今日の歩きはここまでだ。

 

 

 

と、前のベンチにお遍路さんが一人座っていた。

今回初めて会ったお遍路さん。

 

名古屋から来た人で、台風の間は危険でないところに避難していたという。

この人はテントを持っていて、近くの小高い場所にテントを張ったらしい。

僕はトイレ前のベンチ下に寝ることにした。

ベンチは狭いので、下の石畳の方が広い。

 

この休憩所はとてもきれいだった。

初日にとてもラッキー。

 

水道水で体を拭き、

洗濯を少しして干した(乾かないだろうけれど)。

自動販売機でジュースを買い、持って来ていたカロリーメイトを食べて、

もう寝ることにする。

午後8時半だ。

こんな時間には眠れないだろうが、暗いし、他にすることもない。

 

石畳の上にビニールシートを一枚敷き、薄い夏用のシュラフを敷いて、

その上に僕は横になる。

長袖長ズボン姿。不思議と蚊は来なかった。

虫コナーズが効いていたのだろうか。

 

当然、夜もトイレに人はやってくる。

人が来ると入口のセンサーが反応して灯りが付くが、

僕はアイマスクをしているので判らない。

その足音だけを聞いている。

 

三人(三度)までは覚えている。

車のドアを閉める音が聞こえてこちらに歩いてくる。全部女性だった。

靴音が女性用のツッカケの音だったからだ。

 

石畳の上に直接寝ている僕にはよく響いて聞こえたが、姿は見ていない。

その後、寝たようだ。

 

 

寒くて、目が覚めた。

朝かと思って時計を見たら、午前0時半すぎ。

真夏でも山中の夜はこんなに冷えるんだ。


咽も渇いたので、起きて自動販売機の温かいホットミルクティーを買って飲む。

上下のカッパも着込んで寝袋の中にもぐった。

もう一度横になったところで、

 

暫くしてまた一人、トイレにやって来る靴音が響いた。

こんな夜中によく来るもんだ。

山の中の真っ暗なトイレに。

しかも女性(の足音)。

 

そして気が付いたのが、

この足音がさっき来た三人の女性の足音とまったく同じようだったと‥‥‥。

 

でもそれは僕の考え過ぎだろう。

きっとこの近くに住む人がなんらかの事情で自宅のトイレが使えず、

ここのトイレを自宅のトイレ替わりに使っているのだろう、わざわざ車を運転して。

が、恐くなって考えないように考えないようにしていたら、

 

‥‥‥そのまままた眠ってしまったようだった。

 

 

 

土佐くろしお鉄道・中村駅から歩く 午後三時十五分出発、午後七時半頃まで


歩行参拝四時間 約15.5キロ 宿は、ドライブイン水車近く休憩所



 

第二日目(通算19日目) 8月12日(火)

 

ガラガラ、 ぺッ!

 

男が咽を鳴らしてツバを地面に吐く音で目を覚ました。

時計を見たら4の数字が三つ並んでいた、4:44。

 

もう起きようと思い身支度をする。

横浜では朝は4時前から明るくなりだし、この時間ならもう完全に明るいのだが、

高知ではまだ真っ暗闇の中だった。

 

外に出たら、名古屋から来たお遍路さんが出発してゆく白装束の後ろ姿が見えた。


僕も早く出発の準備をしなくては。

 

結局出発したのは、5時半前、やっと空が明るくなってきた。

 

一泊のお宿で大変お世話になり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

この辺りの川は、本来ならば清水のように綺麗なはずだが、

まだ台風の影響だろう、黒く濁っていた。

 

 

5キロ先の町(下ノ加江)にコンビニがあって、そこで朝ご飯やらトイレやらを済ます。

昨日の夜、ほとんど食べていないので、朝からボリューム弁当とヨーグルト。

 

暫く歩くと、若い女性のお遍路さん二人連れとすれ違う。

「逆打ちですか?」と僕が訊くと、

「いえ、ウチモドリです」

 

ウチモドリ、ってなんだ?

この時はまだ意味が分らなかった。

 

 

 

 

 

大岐の海岸を歩く。

 

ここも遍路道と本には書かれてあったが、

 

 


 

 

 

道などはない、最後は川を(浅い川だけれど)渡る。

そこで靴はぐちゃぐちゃに。

 

ところがその後、山の遍路道に入ると大変なことに。

道が塞がったり、道が川になっていた。

 

大変だった場所での写真は、一枚も撮っていない。

写真どころではなく、必死で木をどかしたり、歩いたので。

 

ここにある写真は、のんびりと歩いていたところのものだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また暫く歩くと、

321号線の道路端にある湧き水が出るところで男性の遍路さんと会った。

 

去年の夏は、一週間の遍路道中、一人のお遍路さんとしか遭遇しなかったのに、今年は違うのか?

 

このお遍路さんも、ウチモドリだという。

僕は、意味を尋ねた。

 

三十八番金剛福寺から三十九番延光寺に歩くには色々なルートがあって、

来た道を一部引き返すことになるこのルートが一番短いのだという。

一番長いルートとは20キロもの差になるらしい。

打った道を引き戻るので、打ち戻りだ。

 

この男性は福島県いわき市から来ていた。

先月七月から歩いているという、通し打ちの方だった。

通し打ちは、一番から八十八番まで一気に歩く。

 

台風の時は三日間温泉旅館に滞在したという。

 

ふと杖の話しになり、

僕は中村のコンビニで三本目の杖を置いて来た話しをしたら、

その男性が

「それでは私の杖を一本差し上げますよ」と。

 

男性はここまで二本でついて歩いて来たけれど、一本でいいからと‥‥‥。

そんな筈はない。

僕は断ったが、出来たら持って行ってと再び言われ。

 

もうこれは断れないと、快くお接待を受けた。

 

 

このお杖は、もう無くせないぞ。

 

 

 

 

 

この後も、一度山の遍路道に入ったが、やはり大変だった。

 

台風の後は、絶対に小道には入ってはだめだ。

国道と県道ばかりでは、歩くのには面白くないのだけれど、

歩けないのだから仕方がない。

台風11号の爪跡は大きい。

 

 

 

 

 

窪津に着いたのは、11:40。

 

それからも、もう黙々と歩く。


車は時々走るが、誰にも会わなかった。

 

午後二時を過ぎて、やっと足摺岬に到着。

 

 

 

 

 

いや〜、もう疲れたのだ。

 

そして、

 

 

午後二時半、第三十八番・金剛福寺にお参り。

 

久しぶりのお参りだ。

本堂と大師堂で般若心経を唱える。

ここまでは長かった。

 

三十七番からこの三十八番までは、80キロ以上あるが、

僕は一年の時を経て、ここに来た。

 

その後、

今日はどこに泊まろうか、今日はどこまで後歩けるかと考えながら、

無料の足湯に入っていると、もう歩く気がどんどん失せて来た。

 

時間はまだ午後三時過ぎだったが。

お昼も食べていないので、食料品屋さんに入って、パンと飲み物を買って食べる。

 

どこかに良い宿はありませんか?

洗濯をしたいので乾燥機があるところがいいんですが‥‥‥などと話すと。

「向かいが民宿ですよ、聞いて来て上げますよ」と

おねえさんが向かいの民宿まで走り、

 

「やっていますよ、空いています。乾燥機あります」と言われ。

僕も勢いで、その宿に素泊まりすることにした。

 

宿に行くと僕の他には誰も泊まり客はいない。

まだ三時半だし。

 

まず洗濯、そして風呂。

靴もグチャグチャなので新聞紙を破って靴に入れ、干す。

まだ陽が出ていたので、乾燥機より干した方がいいと言われ干すことに。

宿ではビールは中ビン500円なので、酒屋さんはどこかと聞く。

そうこうしていると、晩飯を食べませんか?と言われる。

「どうせ私らも食べるんだから、私らと同じもんでよければ、どうぞ」と

「料金も要りませんから」と。

やっぱり僕以外の客は一人もいなかった。

僕は先にビールを買いに裏通りにある酒屋さんへ向かう。

 

その通りには小さい酒屋さんがあって、店の前に自動販売機があった。

お金を入れたら、

チャリ〜ン、と音がしてコインが戻って来た。

仕方なく、店のドアを開ける。

「すみません、自動販売機にお金を入れたんですが‥‥‥」と言いかけたとたん、

店の奥に座っていた黒い痩せた塊が立ち上がり、僕に近づいた。

じいさんだった。

 

「あんた自動販売機に金を入れたんか、あれはアカン。

この前に台風あったじゃろ、そん時に雷が落ちたんじゃ。大きかったぞ。

そんでその後、自動販売機は動かんのじゃ」


じいさんは、そうとうに怒っていた。

僕は何と答えていいのか判らず、

「そうでしたか、すみません」となぜだか謝る。

 

「あんたは、何が欲しい?」

「僕はクリアアサヒです」

「‥‥‥それはない」

「いや、でもここにあるじゃないですか?」

「ああ、これのことか、これは冷えとらん」

「冷えたのはないんですか?」

「ない」

「‥‥‥」

「大きさは何がええんじゃ?」

「どんなのでもいいですよ」

「二つならあった」

「あるじゃないですか」

 

大きい冷蔵庫の中に、そのクリアアサヒロング缶は入っていた。

「ワシはな、大正○年○月○日生まれで水産学校に入ったんじゃ、そんで海軍に入った。

海軍の船に乗っとったら○○○丸に乗っとる時に、潜水艦にやられて船が沈んだ。

217人乗っとって、7人だけが助かったんじゃ。

そん時に足をやられて、これじゃ(とスボンを上げて足の傷跡を見せる)。

それから戦争が終わってからも、船に乗って、世界中に行ったんじゃ。

オランダ、ロシア、アフリカと

それで石油タンカーにも乗っとった‥‥‥」

 

「すみません、これ二つでいくらですか?」

「これか、526円じゃ」

「え〜と、520円と、あと6円ですね‥‥え〜と、どっかにあったんですが」

水浸しで僕の財布もグチャグチャになっていた。

 

「もういらん、これでええ」とじいさん。

「いやいや、ほらほらありましたから、6円」と僕。

「ワシの嫁さんは早う死んだんじゃ、子供は大阪におる。

おふくろは百二歳まで生きたんじゃ」

 

「そうですか、すみません、もう帰っていいですか?‥‥‥失礼します」

 

あの調子なら夜まで帰してもらえないんじゃないかと心配になったので、帰ってきた。

せっかくの冷えた発泡酒もぬるくなる。

 

しかし、発泡酒を買いに入っただけで、どれだけ身の上話を聞かされるのだろう。

高知はすごいところだ。

隣の食料品店で明日の朝用にバナナとパンを買った時、

酒屋のおじいさんの話しをすると笑われた。

「じいさんの話しを聞いとったら、一時間は帰れんよ」と。

 

民宿におばあさんがいて、

おばあさんにもさっきこんなことがあったと話したら、ここでも笑われる。

有名なじいさんらしい。

そして夕食。

ばあさんが、あんた魚も食べるか、と言われたが、

「いえいえ、そこまでしてもらっては」と辞退する。

 

これでも充分ご馳走だった。ご飯はお替わりしたし。

 




休憩所を朝五時半前に出発して、足摺岬へ。午後三時半には足摺の宿に落ち着く

参拝/第三十八番・金剛福寺


歩行参拝十時間 約31キロ 宿は、民宿 岬光(はなみつ)




第三日目(通算20日目) 8月13日(水)

 



昨夜は、ゆっくり寝たので、四時に起き、昨日買った朝ご飯を部屋で食べ、

支度して、五時に出発。

 

まだ夜は明けていないが、空の色は少しだけ違う。

来た道をすべて打ち戻りする(これが一番距離は短いらしい)人が多いらしいが、

僕はせっかくなので、来た道ではない西岸を回ることにした。

 

 

 

 

一度、旧遍路道にも入ろうとしたが、いきなり入口が木で塞がれており、

やっぱりだめだ。

もう二度と入るまいと思う。

 

途中にジョン万次郎が生まれた村(中浜)を通る。

喫茶店があったので、「花子とアン」を見ながらモーニングを食べた。

 

その後、山中には入らず、遠回りをしてずっと県道27号線を海沿いに歩く。

 

 

 

土佐清水市の清水港に出た。

 

 

そこから北に登って、321号線に戻る。

 

 

 

この大岐の浜は二回目だ。昨日も歩いた場所。

 

 

 

 

 

 

昨日、おととい、とあまり距離は歩いていないので、

今日は頑張ろうと思い、歩く。

 

 

 

 

昨日も立ち寄ったコンビニで、お昼。

今日はかなり暑い。

 

日陰を求めて、わずかな日陰で弁当を広げた。

 

 

この下ノ加江から、今度は山に入る県道21号線。

 

 

 

この川ではたくさんの人が泳いでいた。

去年の区切り打ちでは毎日川に入った僕だが、今回はそんな気持ちに一度もなれなかった。

この日も、とにかく今日は歩かなくては、という気持ち。

 

県道21号線は車も通れる道だが、この川を渡ると、

その後はほとんど車も走っていない。

 

 

 

人はもちろんいない。

ただ歩く、登る。

暑い。

 

 

15キロほど、山を歩いて、遍路小屋も一つあったが、

とても泊まれるような小屋ではなかったので、

 

今夜も宿に泊まることにした。

 

 

 


農家民宿くろうさぎ、ここは当たりだった。

この山の中でオアシスに来たような接待。


奥さんもご主人(顔がくろうさぎ、年は僕と同じ)もとっても親切。

 

 

 

 

そして生発泡酒(サッポロ)が、一杯300円!

嬉しくて、三杯飲んだ。


食事もとっても美味しかった。

今年初めて収穫した米を炊いてくれた。


にごり酒(どぶろく)も造っていて、味見させてくれる。

 

 

 

風呂にもゆっくり入って、

マメが酷くなってきたので、一部切って大きいバンドエイドを貼る。

 

気持ちの良い部屋で、気持ちよく休む。

 




足摺岬の宿を夜明け前に立ち、そこから午後五時まで歩く

参拝なし

歩行参拝十三時間 約44キロ 宿は、農家民宿くろうさぎ

 


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四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2008

5月17日(土)〜21日(水) こちらをクリック 一番から二十二番

 

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2009

阿波國〜土佐國之巻 を歩き終えて

vol.1 11/9-11 第一日目から三日目までは、こちらをクリック  二十三番から二十四番

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四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2013

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四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2014 夏

vol.1 8/11-13 第一日目から三日目までは、こちらをクリック 三十八番

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四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2014 秋

vol.1 9/30-10/2 第一日目から三日目までは、こちらをクリック 四十一番から四十三番

vol.2 10/3-5 第四日目から六日目までは、こちらをクリック 四十四番から五十三番

 

 

富田和明 プロフィール

 

 


七年間を綴る、富田和明的日々是無打噺『2020年日記』
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インターネット版 『月刊・打組』2014年 9月号 No.131

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